われら六稜人【第1回】森繁名誉教諭と3人の北野生たち われら六稜人

4時間目:倫理

人間を見抜く教育を~北野は永遠に

    北野でね、自殺する子が多い…そういう時期があった。それでボクにお名指しが来て「アンタに講演して貰いたい…生徒が自殺するんで、自殺防止の講演を…」ははは。どうせろくな講演じゃないよね。自殺防止の講演なんて。でも、そこへ行って何のハナシをしたものか…汽車のなかでも出来ない。だんだん北野が近づいてくる。弱ってねぇ。
    「講演の前に小便に行かせてください」
    それで…ア、よし。この話をしよう!

    ははは、小便の話じゃない…そこでしたハナシがね「キミがいま15歳だとしよう。15歳。人間が15歳まで生きていくまでに、大体どれだけの人間が動員されたと思ってるか、キミたちは?」…講堂で大演説をブチましたよ。そしたらいろんなコト言うんです。
    「5,000人です」
    「200人かな」
    「500人でしょ」とか…。

    ナント、簡単に言っても20万人くらいは動員されてる。そりゃそうでしょ。子供が生まれるまで…いろんなもの食べさせて貰って、その栄養のつくものは一 体誰が取って来たと思うンだ。そういうように、関係がありますよね…漁師でも農家でも何でも。それを食べて、それを運んできた…それを炊いたお母さんもい る。アンタたちが着た産着なんかでも、実はインドあたりからいい木綿を送ってきて、インド人も動員されているだろうし…ともかく20万人くらいは、あなた が15歳を迎えるにあたって動員された人間の数だ。そう言ったんです。

    そういうハナシをしまして、東京へ帰ってきた。すると夜中にね、トントンと叩く音がする。いったい夜中に誰だ…そして開けたら、北野の生徒なの。「ボク は北野の生徒ですが、先輩のお話を今日伺いまして、目が覚めたといいますか…盲点を付かれた気がしまして。死ぬのは止めよう…と」そういうハナシをするん です。

    「ま、上がれ。風呂でも入ろう」
    一緒に風呂入ってやろうと思ったのに本人が「厭だ」って言うもんだから、そこで二人で飯を喰いながらハナシをしました。住所も聞いて、お母さんのほうへ電 話をして「お子サンがうちへ来ましたけれども、大事に預かってますから…」今ごろどうしてるのかね。その坊やが一番心に残ってますね。

    レイモン・ラチゲイという人の有名な小説『まにつかれて』というのがありますけれども、僕もまにつかれていろんなコトを教わったのが高須洪一郎という同級生でしたね。後に大きな会社になって、高須が社長で…アイツがいろんなコトを全部わたしに教えたね。一番仲が良かったのが三越の裏にある加藤耳鼻咽喉科の加藤嘉彦、彦ちゃん。もう亡くなったけどね。
    引き揚げて帰ってきてから、一銭も無かったけどね「金が無いンなら、俺ンとこにずっと居れや」っていうから「ほんならお前ンとこに厄介になるワ」って。 芦屋の六麓荘に大きな家があって、そこに半年くらい居たかな。その彦ちゃんも死んでね…この間、お墓開けてお骨を入れる時には…何か、堪らなかったね。そ ういう竹馬の友がいますね。

    しかし偉いヤツがいるね。森島なんてのは…あの阪神大震災の時に、同期の家を全部1軒ずつ回ったっていうんだからね。自転車で1軒1軒回って、それをわれわれ東京在の人間に報告してくれた…アレには感心したね。

    イタチも死んだね。矢野先生。この倅は早稲田の理工科に行ったっんダ。「お前が理工科にいるのに、何で俺が理工科を受けちゃあイケないっつうんだろうなぁ。俺の親戚はバカばっかりだ。」って怒ったけどね。
    その矢野がある日、早稲田でね「レースに出るから、お前乗ってくれ」「え? お前の車に乗るの? コレ半分壊れてるじゃない」「大丈夫だ、大丈夫」それ でレースに出た。バラバラって音が喧しいンだよね。「ヤカマしいな、これ」「いやナ、マフラー取らないと馬力が出ないから…」そしてね、いいレースをやっ てるんですけど「いかん。あそこのねじが1本、どっかに飛んだらしいな」「もう、止めてくれ」って言ったんだけどね。泣いたよ、怖くて。
    そいつがね、中尉か大尉になって満州に赴任してきて、リクオウって立派なオートバイに乗って来てね。その当時のボクの女房が可愛かったから「女房と一遍 寝ると言って聞かないンだよね。「オレは兵隊だからいいじゃないか」って…「嫁ハンと寝ていいよ」とは言えないからね。ま、どうしたか覚えてないけど…。 その後そういうコトは多いね。ホントにね。澱江、春の華の艶…。いやいや、脱線、脱線(笑)。

    みんな、いい先生だったな、今から思えば。とくにね博物なんか好きだったからね、何っていったかな博物の先生は…。ともかく「北野は秀才の学校だ」そう言うんです(行ってる本人はそうは思わなかったけどね)。不思議なことに、僕らのクラスでも真ん中辺でヒョロヒョロしてた奴がみんな良くなってますね。級長やってた奴なんかはあんまり良くない。野間宏なんかは 同級生だけれどね。死んじゃったけども…。野間が変な文章を書くと、僕がガリ版で一生懸命刷ってね。何というか「本」をつくったものだけど。いま1冊でも 残っていればね…。

    いまも先生を綽名で呼んだりするの?
    昔の先生は全部怖かったな。今の子供たちは先生をオトモダチみたいにするでしょ。ああいうことは僕らには無いですね。先生は神聖なもんだと思ってましたからね。

    今さらになって教育勅語を読むとね…ま、読むこたぁ無いけれド…あれはうまいこと書いてあるね。

    親に孝、…(中略)…以って知能を啓発し

    うまいねぇ。ホントにそうだと思うよ。学を修め業を習い以って知能を啓発し…ってね。誰が考えたのかね。ギョメイギョジ(御名御璽)ってのはよく分からないけれど。他はよく分かりますね。

    若い諸君にいろんな話をしても何も言えるワケじゃないし、僕は先生方に言いたい。折角みんな希望を持って北野中学に入ってきたんだから、どうして字を覚 えてるとか、算数が出来る、幾何が出来た…というコトだけでですね、人間を点数で決めるんですか?そんなクダらない学校をつくっちゃイケませんよ。私に言 わせればね。もっとね、人物を量るようでなきゃイケません。人物は点数で測れませんからね。ほんと、バカにしてますよ。バカにしてないのかも知れないけド…。やっぱりね、学校というところは人間を作るところだと思うんですよね。

    どうして人物というものを採点しないのか。「コイツは人間的に素晴しい」というのを見抜かなかったら先生は先生としての資格がないンじゃないかな…そう考えますけれども。あるいは行き過ぎかも知れませんけれどもね。

    先生の器量が立派でないと、いい生徒が出来ないような気がするね。

    あ、君たち。お腹すいてない?
    チョットすいてるダロ?(爆笑) おーい、シンコ。
    みなさん、お腹すいてんだよ。知らなかった。
    鰻がお嫌いな人いませんね。鰻。鰻がいーね。

    「森繁だっ」て言ってね。旨い鰻を!!
    台湾の鰻じゃないヤツね。

Update : Sep.23,1997

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