タイからサワディクラップ〜JICAシニア海外ボランティアだより【第1話】
還暦に振り返り起つ
北野高校のOG/OBの皆様へ、夏が終わらない暑い国タイからのレポートです。
▲マングローブの植樹祭
2008年10月
シリントーン王女国際環境公園
タイは、3月から5月が一番暑く夏で、この季節、暑期は、「ルドゥ ローン」と言います。
妻、紀子は2009年2月25日〜3月9日日本に一時帰国しましたが、0℃で雪が関東にも降ったようでした。ちょうどタイは、35℃と真夏でした。
同期のモンゴル派遣のボランティアからは、メールで「こちらはマイナス30℃です。モンゴルとタイでは、60℃も気温が違うのですね」と、便りを頂きました。
人間にとって地球は広く、気候は様々です。
これ以上地球温暖化で、気候変動など起こったら、自然のバランスが崩れて、洪水、旱魃が多発すると考えられます。
自然を大切にして、生きている植物、動物を愛しましょう。
私は北野を1967年卒業の79期で、卒業の時は英語の片山先生が担任でした。
阪大を受験するときは、「大丈夫か、神大にしないか」と言われた覚えがあります。特に79期は、浪人が沢山出ました。
私の場合、阪急の塚口に実家があり、実家から通学出来ること、数学、物理がちょっと難しい感じで、反面化学は、実験があり結構分かり易かったこと、でも分析はどうも、臭い等が出て、苦手で、結局阪大基礎工学部化学工学科を受験しました。
▲西日本大学サイクリングラリー
1968年夏 鹿児島大学にて開催
入学し4月にサークル活動の紹介を受けました。
体格からボート部に誘われましたが、北野で2年の夏休み前まで、バスケットボール部に所属し、運動部の厳しさは分かっていましたので、大学ではマイペースで生活したく考え、断りました。
バスケ部を退部してからは、塚口から北野に自転車で30分ほど通学し、旅行が好きでしたので、1966年で、入学の一年前に発足していたサイクリング同好会に入部しました。
二回生の夏から学生運動が始まり、教養課程から学部への試験は実施されず、全員学部に進学できましたが、10か月ほど授業が無く石橋校舎に来ては昼休み同好会の仲間と校舎の周りを走り、昼飯を食ってだべり、自宅に帰って夕方家庭教師をし、夏休み、春休みには、サイクリングで旅行をしていました。
三回生の10月頃から授業は中ノ島校舎で始まりましたが、四回年の夏に大学院を受け不合格になりました。
幸い1971年は就職の需要が多く、三菱重工(株)に就職できました。
謝恩会では、主任教授より、環境関係の研究を会社ですると言うと、「これからは、化学工学も環境関係の仕事が沢山できる」と、励ましの言葉を頂きました。
会社では研究所勤務の希望を出し広島研究所に配属され、その後37.5年間の会社生活を送りました。
研究23年、開発設計10年、企画3年、営業1.5年で、主に排煙脱硫装置とごみ焼却炉の開発の仕事でした。
「何をやってきたか?」という疑問が、50歳になった1998年頃から湧いてきました。
少し時間に余裕ができて、昔を振り返る時間を持てるのかと思いました。
▲博士の学位授与式
妻と細見教授・工藤助教授と記念写真
その後、恩師に巡り合い52歳で2001年から働きながら、東京農工大学大学院博士課程後期に入学しました。
この間、次男が慶応大学の文学部でしたので、妻に「うちは二人大学生を抱えて、家計も大変だ」と、呟かせました。
55歳で2004年3月に工学博士を授与されました。
しかし55歳で研究をさせてくれる大学は有りませんでした。
そこで、あと4年6カ月間、60歳で定年退職するまでに、何が本当にやりたいかを考え、そのやりたいことを定年後しようと思い、前向きな考えを持ちました。
会社でプラント開発が主な仕事で、開発・改良した排煙脱硫装置を数多く設計製作しました。
建設後20年も経ち、ほとんどスクラップアンドビルトになっています。
開発に携わりましたごみ焼却炉、リサイクル装置は、最近まで動いていました。
会社でグループの一員として働き、会社の利益に貢献できましたが、私が製作した機械が世の中で余り役に立っていないのは、エンジニヤーとして寂しいです。
そこで第二の人生でやりがいを感じられるのは、直接に人の役に立てるボランティアではないかと考えました。
昔から海外旅行が好きだったので、海外で国際協力出来るJICAシニア海外ボランテイアを選びました。
それは還暦1年4ヶ月前の58歳8ヵ月の2006年3月の時でした。
是非皆さんも、下段に示すJICAシニア海外ボランティアのホームページを見てください。
JICA シニア海外ボランティア
http://www.jica.go.jp/activities/sv/
妻は私が50歳になる頃から、定年後は海外ロングステイが希望でした。
私も定年後海外に住むことは、冒険心をかきたてられました。
私が55歳の2004年に妻の友達の親戚がJICAシニア海外ボランティアに行っていると、聞いて来ました。
ホームページを読むと、69歳まで出来ていろいろな職種があり、60歳以上の方も活躍されていることを知りました。
▲二本松の訓練所での還暦祝い
そこで55歳の2004年からは春、秋の募集の説明会を聞きに行き、各国の要望書を読みました。
安全でのんびり暮らせる国がよいと、タイ、マレーシア辺りを中心に探しました。
そこで、2007年秋にタイ・ラチャプリでの廃棄物管理支援に応募しました。
合格して3カ月間二本松の訓練所で主にタイ語の訓練を受けました。
ちょうど還暦を迎え、右の写真のように、わざわざバースデイケーキを30分歩いて街まで買いに行ってくれて、同じ班の皆から誕生会をやって頂きました。
▲通勤姿
その後2008年9月にバンコックに来ました。
1週間目は、挨拶、手続き、歓迎会、安全教育等を受け2週目から任地ラチャプリに来ています。
下痢で病院にも行きましたが、4〜5日で治りました。
3週間目にはアパートを見つけて引っ越し、4週目には管轄の近隣5県の廃棄物処分場を視察して、5週目からはカウンターパートと今後2年間の計画を話し合っています。
また、職場には職場で借りたマウンテンバイクで通っています。
週末は近くの学校のプールで泳いで、楽しんでいます。
タイ人は礼儀正しく、付き合って楽しいですが、タイ語は大変難しいです。
▲近くの学校のプール
▲処分場を見学した帰りの風景
私のメールアドレスは次の通りです。JICAシニア海外ボランティアに興味ある人は、メールください。
米田健一 E-mail:
kenichi_yoneda2000@yahoo.co.jp
妻がブログを書き始めましたので、見てください。
まるこめ夫人タイ日記
http://thaidesutai.jugem.jp/
今月号は、JICAシニア海外ボランティアになった動機と2008年10月上旬までの経緯を書きました。
来月号は、10月中旬からのタイでの生活を中心に、続きを書きます。
では楽しみにしてください。
Last Update: Mar. 26,2009