ポラントリュイ市旧市街にそびえ立つ聖ピエール教会。 この教会内から、聖ミッシェルという信徒団体(1337年結成)が建造した聖ミッシェル礼拝堂(1423-40建設)に直接入ることができる。 中世から宗教的・政治的に実力を持ったこの団体は、時代ごとにこの礼拝堂に惜しみなく金をつぎ込み、飾った。 大天使ミカエル(ミッシェル)を描いた19世紀のステンドグラスは暗い堂内の中で輝くばかりであるが、私の目はまず、入口近くの古ぼけた像に向けられる。 「Notre-Dame des Annonciades」(アノンシアド会の聖母マリア)は、別名「奇跡の聖母」とも呼ばれ、400年にも渡って大切に保存されている。 人々の間に語り継がれ、ポラントリュイに関する歴史書にも登場するこの聖母像について、ご説明する。
三十年戦争(1618-48年)は、ドイツを中心に行われた戦争である。ハプスブルグ・ブルボン両家の国際的敵対と、ドイツ新旧両教徒諸侯間の反目を背景に、 皇帝の旧教化政策を起因としてボヘミアに勃発。戦火はヨーロッパ各国に飛んだ。この時期、ポラントリュイを含む現在のスイス国・ジュラ地方はバーゼル司教直轄の小国家であった。 ローマ帝国、スウェーデン、フランスといった列強の侵攻で、地域は多くの被害にさらされた。ことに傭兵の狼藉はひどいもので、略奪・放火が繰り返され、住民は飢えに苦しみ、 ペスト・チフスが蔓延し、国は荒れ果てていた。 その頃、戦火の真っ只中にあったフランス・アルザス地方のアノンシアド修道会を抜け出し、ポラントリュイに逃れてきた尼僧達がいた。 彼女達は、幼いキリストを抱く聖母マリア像を携えていた。
1634年、スウェーデン軍が再びポラントリュイの町に近づいているという情報が入り、住民は恐怖に怯えていた。尼僧達は、この聖母像を敵の方向に向け、侵攻を阻んでくれるよう、祈り続けた。 次の朝、スウェーデン軍がポラントリュイ市を見渡せる南の丘に着いたところ、濃い霧が市を包み込み、視界を遮っていた。このため、スウェーデン軍は町に下りることなく、退却していったという
別の文献はこう語っている。
「奇跡」と歓び湧いた町の人々は、侵略軍が踏みとどまった場所に「La chapelle de Lorette」(ロレット礼拝堂)を建設(1653-57)、
現在、毎年8月15日の聖母被昇天祭に聖母像を輿に載せ、ロレット礼拝堂まで巡礼する催しが行われている。
ポラントリュイは、ジュラ地方の中でも比較的霧の少ない地域である。400年近く前のこの事件はただの空想上の物語なのか、それとも現実に起こった奇跡なのか? それを信じるか否かは貴方次第である。
付記・ちなみに、私はこの伝承にいたく感銘を受け、小著「レクイエム」にて主人公に影響を与える場面に挿入した。(小説自体はフィクションです)
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