日時: |
2008年3月19日(水)11時30分〜14時 |
場所: |
銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: |
52名(内65会会員:新原、岩下、江原、大隅、大塚、梶本、笹本、正林、高橋、三上、山根、峯) |
講師: |
前名城大学経済学部教授 槌田 敦氏(64期) |
演題: |
「CO2温暖化説は間違っている」 |
講師紹介: (同期生からの紹介) |
講師は我々の年次の中で飛び抜けた秀才であった。活動家であり我々の何歩も前を進んでいた。その後事情があって高校は中退したが、大学受験資格をとって都立大から東大大学院物理学科に進み理学博士となった。卒業後は理化学研究所に入り原子力反対運動をやって有名になった。その後この運動はチェルノブイリ原発事故をきっかけにかなり盛り上がった。学問の面では、物理学エントロピーの理論を経済学に盛り込むことを研究、上記研究所を定年退職後は名城大学経済学部教授として環境経済学を教えた。
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講演内容: (要点のみ) |
(説明資料として『季刊at』11号への寄稿「温暖化の脅威を語る気象学者たちのこじつけ論理」が配付された)
- 2007年11月、国連はIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の総合報告書を承認した。その骨子は、この半世紀の気温上昇が人間活動によるCO2などの増加でもたらされた可能性がかなり高く、21世紀末の世界の平均気温は20世紀末に比べて対策しなければ4℃ほど高くなり、海面は最大59センチ上昇する。対策すれば気温の上昇を1.8℃に抑えることができるというものである。IPCCに結集する御用学者2500人とマスコミに扇動されて、現代社会は「今しなければ間に合わない」と思い込んでしまった。この妄想により、原発が増設されて放射能をつくり、炭鉱は閉山させられて再開不可能となり(世界最大数の炭鉱を有していたポーランドにおいて炭鉱は壊滅)、バイオエタノールの生産のため、貧しい人々は穀物の値上げに苦しみ、そして農地拡大のため森林は伐採されている。
- 原発については、中国121基、ロシア35基、アメリカ32基、など世界で319基の原発が建設中または計画されている(日経08・1・20)。イギリスでは原発建設を進めるための法律が議会に提出された。これにより世界で原発事故の心配が増え、放射能が蓄積することになる。その原発よりもCO2温暖化の方が悪い、と各国は判断したのである。
- 温暖化は悪いことではない。CO2は食料にとって肥料となる。温度が上がると食料が増産できる。むしろ怖いのは寒冷化である。歴史をみれば、寒冷になった途端に食料不足を引き起こしている。
- では、何故温暖化が問題となったのであろうか。その理由は米ソ冷戦の終結である。冷戦中は、米ソの政治家はお互いに悪の帝国と呼び合い、核戦争の危機を訴えることで国民の意思をまとめてきた。ところが、1987年12月ゴルバチョフ書記長とレーガン大統領により中距離核戦力全廃条約が締結されて冷戦は終結した。アメリカはこれにより国家の目標を失った。そこで登場したのがCO2排出規制という国際政治の綱引きであった。
- 世界支配を目指すアメリカに対しヨーロッパ諸国はその団結で答えようとし環境問題に積極的にかかわってきた。この中でフランスは他のヨーロッパ諸国と違い、当初環境問題には冷ややかな態度をとっていた。しかし、フランスでは原子力産業が斜陽化しフラマトムという軍事と民生の両方をする企業にはかつて15万人の職員がいたが、1990年ころでは5万人に減っていた。そこで、原発をもう一度軌道に乗せるため「CO2を出さない原発」を掲げてCO2問題を言い始めたのである。これにより、ヨーロッパ諸国は一致して環境派ということになってアメリカを凌ぐことになった。ところで、原発はウランの濃縮などで火力発電と同じ程度のCO2を出している。従って、原発を推進したところでCO2放出の削減にはならない。
- 平安時代は中世温暖期であり源氏物語などもこの時期に書かれ文化の栄えた時であった。江戸時代は寒い時期であり、それから300年かけて暖かくなってきたのである。
- 格差社会の問題:
現在、人類にとって最大の問題は貧困の拡大である。世界各国で一部の富裕層がますます富裕になる一方で、大多数の中間層は次々と貧困層に転落させられている。いわゆる格差問題である。そして、その貧困が原因となってテロが世界で頻発している。この問題は先進国の援助だけで解決できる筈がない。そしてアメリカも国内に大量の貧困層を抱えている。路上生活者の多くは元は普通の生活者だったと知り、大多数の中間層は自分がいつ貧困層に転落するのかという不安に脅えている。そこで政治家は地球温暖化に飛びついたのである。貧困化の不安を持つ中間層に「温暖化の脅威」を宣伝して、貧困化への恐怖をすり替えた。つまり温暖化説は、最初から政治に利用されてのし上がってきた。この戦略は大成功だった。中間層はもろ手をあげてCO2の増加を止めることに協力しようと考えた。そして採算性で落ち目だった原子力産業は「CO2を出さない」ことを口実にして勢いを盛り返した。
- アメリカは国際テロとの戦いに苦しんでおり地球温暖化問題にかかわり合 う余裕はない。しかし、それではヨーロッパ連合(EU)に国連やサミットでの主導権を取られ覇権を維持できなくなる。この矛盾で、アメリカは京都議定書には参加しないが、協議の場からは脱退しないのである。要するに困り果てての中途半端である。
- 化石燃料の燃焼はCO2濃度増の原因か:
CO2温暖化説の元祖は、測定技術の優れた科学者キーリングであった。彼は1963年自然保護財団の主催する会議に報告書を提出し、次の世紀に予想されるCO2量の倍増によって世界の気温は4℃上昇する可能性があると述べ研究費の増額を訴えた。これに対して最初に反論したのは気象学者根本順吉氏である。彼は1989年に、「マスコミが伝える地球温暖化説にはあまりにも多くのウソがある」と書いた。彼は、そこで、化石燃料の大量消費→CO2の増大→温室効果 ではなく、太陽活動の変化→海面温度の変化→海洋のCO2吸収力の変化→CO2濃度の変化→温室効果→気温の変化の増幅 であると指摘した。つまり、CO2濃度の上昇で温暖化したのではなく、気温が上昇したから大気中のCO2濃度が上昇しそれに伴って付加的要素として気温の上昇が増幅したと考えた。そして、この温暖化効果を言う前に、太陽活動の活発化と海面温度の上昇というもっと本質的な原因を検討しなければならないとも指摘したのである。
- キーリングの業績:
大気中のCO2濃度の上昇と化石燃料の燃焼との関係を目で見えるようにしたのはキーリングである。彼は1958年から1994年までの大気中のCO2濃度と化石燃料の燃焼との関係を図で示し、1957年以後の化石燃料の使用量の累積値の55.9%が大気中に溜まったとした(その前1989年の発表では58%が溜まったとしていた)。この関係が図で示されたことによりこれを支持する経済学者なども現れ、人為的CO2による温暖化がこの社会で認知され、通説になった。この通説に対し、CO2による温暖化の存在は認めるがそれ以外の問題の方がこのCO2温暖化の効果よりも大きいと主張する人々が現れた。これを懐疑論という。更に、私のようにCO2により温暖化したのではなく、温暖化したからCO2濃度が増えたと主張する人々も現れた。これを否定論という。現在、通説、懐疑論、否定論の出版物が書店にたくさん並んでいる。
- 通説のCO2温暖化説には大きな欠点がある。それは、化石燃料の燃焼で放出されたCO2の約半分が大気中に溜まったとして、残りの半分はどこに消えたのかという問題である。この行方不明の問題はCO2温暖化説が提起されると同時に話題になって、ミッシングシンクと名付けられた。そして、50年近い経過があっても、未だにこの問題は解決していない。
- 気温変化の後でCO2が変化する:
気温変化が原因で、CO2濃度変化はその結果であるという事実を最初に発表したのは、CO2温暖化説の提唱者キーリングその人であった。彼は、長期的傾向からの大気中CO2濃度の偏差と平均気温の偏差を図示して比較した。気象学者根本順吉氏はその著書においてこのキーリングの図を紹介してCO2温暖化説に疑問を提示した。そしてCO2は気温の変化の後追いをして変化し、通説とは因果関係がまるで逆であると指摘した。通説を支持する気象学者たちは、この都合の悪い図を無視し続けたが最近ようやく“短期的には”気温が原因でCO2濃度は結果であると認めるようになった。
- しかし彼等は、前記の図はCO2変化から長期的傾向を取り除いた図であり、取り除いた長期的傾向の中にCO2が原因で気温が結果であるという効果があると弁解する。これに対し、近藤邦明氏は長期的傾向を除くことなく、気温の年変化と大気中CO2濃度の年変化をそのまま比較する図を発表した。
- この図により、1970年から2004年までの全領域で気温(または海面水温)の年変化のほぼ1年後に、気温が上がる場合も下がる場合も、大気中CO2濃度の年変化が追いかけていることが明らかになり、CO2温暖化説の主張する因果関係は完全に崩されることになった。気温が原因でCO2濃度は結果であるという事実は、この外に、ピナツボ火山の噴火で気温が上がらずCO2が増えなかった事実やエルニーニョにより気温が上がってその1年後にCO2濃度が増えるという事実もある。
- 学会での論争の現状:
- 環境経済・政策学会での論争:
私は、名古屋の名城大学経済学部で環境経済学を教えることになり環境経済・政策学会に入会しCO2温暖化に対して否定論の立場から批判する発表を続けた。これに対し経済学者たちは気象学の話をされても困るという態度。私はこれに対して、学問はお互いに信じ合うことによっては成り立たないのであり、気象学者やその他の人の言うことをよく聞き、その正当性を経済学者自身が判断して経済政策を立てるというものでなければならない、と答えた。その後、「地球温暖化に関する公開討論会」も開かれ経済系の学会では地球温暖化に関する論争が進むことになったが一般経済学者がこの討論に参加して、その経済政策に反映するということにはならなかった。
- 物理学会での論争経過:
そこで、私は古巣である物理学会の環境分科会に戻って、物理学として気象現象を確かめることにした。ところが、物理学でも圧倒的にCO2温暖化説を前提とする論がなされていて、批判の声がまったくない。これでは経済学者が気象学者の言うことを信じて政策を立てるのも当然であると感じた。
- 気象学会での論争経過:
環境経済・政策学会での議論の流れから開催されることになった「地球温暖化に関する公開討論会」には10人近くの気象学者がCO2温暖化説を擁護するために参加した。そこでの論争に気象学者(河宮・江守両氏)が納得していないようなので、面会して説明したいと申し入れたが断られた。そこで、まず気象学会誌「天気」に投稿することとしたがこれも掲載を断られた。気象学会はその機関紙に掲載された記事への反論を掲載しないのである。仕方なく、気象学会に入会することにして、2007年気象学会秋の大会で、「CO2温暖化説は間違っている」と題する発表をした。幸い昼休み直前の講演であったので、会場からの十分な討論時間があった。しかし、この会場で前記河宮氏からの反論はなかった。経済学者だけでなく、物理学者も、気象学者の言うCO2温暖化説を信じきっている以上、気象学者が変わらなければ、この温暖化騒動は終結しないのである。
- 結論:
CO2温暖化騒動は、丁度50年前の1958年、キーリングが南極に精密なCO2濃度測定装置を設置したことに始まる。しかし、CO2温暖化説を支える事実は存在しなかった。逆にこれを否定する事実が次々と現れた。
一方、提出されたCO2温暖化説は政治家に利用されて大騒動となってしまった。このようなCO2温暖化防止に狂う現代社会に、騎士道にあこがれ遍歴の旅に出たドンキホーテ(セルバンテス作長編小説)の姿を見る。気象学者の言う地球温暖化の脅威を信じ、これとは無関係の大気中のCO2濃度と戦うあたり、風車小屋での戦いの場面そのものであろう。
IPCCにに結集する御用学者2500人とマスコミに扇動されて、現代社会は「今しなければ間に合わない」と思い込んでしまった。この妄想により、原発が増設されて放射能をつくり、炭鉱は閉山させられて再開不可能となり、バイオエタノールの生産のため、貧しい人々は穀物の値上げに苦しみ、そして農地拡大のため森林は伐採されている。この被害を受ける後世の人々はどのような思いでこの現代社会の妄想を語るのであろうか。
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