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日時: | 2007年2月21日(水)11時30分〜14時 |
場所: | 銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: | 46名(内65会会員:江原、梶本、正林、峯) |
講師: | 作家 林 巧氏(92期) |
演題: | 「妖怪へのいざない」 |
講師紹介: | 1961年生まれ。小学校6年生で、筒井康隆氏の主宰するSF同人誌『ネオ・ヌル』に参加。慶應義塾大学文学部卒業。雑誌編集者を経て、フリーに。妖怪と音楽と人を求めて、アジアの各都市のジャングルを旅する。まだ日本にあまり知られていなかったアジア各地の伝統的な妖怪を、はじめて日本に紹介する。そうしたアジアの妖怪譚に目をつけた水木しげる氏とマレー半島、ボルネオ島に妖怪探索の旅に出る。水木しげる氏の故郷である鳥取県境港市で96年に開催された「第1回世界妖怪会議」にパネリストとして参加。 98年には筒井康隆氏の賛辞を得て、初の長編小説『世界の涯ての弓』(講談社)を発表。現在は、ファンタジー、ホラー、SFなどの分野の小説を執筆中。既刊著作は妖怪関連に『アジアおばけ街道』(扶桑社)『アジアおばけ諸島』(同文書院)、アジア紀行に『マカオ発楽園行き』(講談社文庫)、『エキゾチック・ヴァイオリン』(光文社・知恵の森文庫)、小説に『老林亜洲妖怪譚』(角川書店)『亜洲魔鬼行/アジアン・ゴースト・ロード』(角川ホラー文庫)など多数。 |
講演内容: (要点のみ) |
「バリアン・バトゥール」(バリ島の魔神)の仮面をかぶって登場、各テーブルを回る・・・拍手 (1)この会場は自分にとって思い出深い場所。大学が慶應だったので神宮球場での早慶戦の後、この1階ビアホールでよく騒いだもの。そのような場所で、北野の大先輩たちを前にして、大好きなお化けの話ができることを、とても嬉しく感じている。 (2)最初は台湾にでかけ、現地の人たちが気軽に話す、お化け話に興味をもった。日本人はドラキュラや、フランケンシュタイン等、欧米の有名なお化けの話は知っていても、アジアのお化けは知らない。アジアのお化けには、日本のお化けに似ているものも、かなり違うものもある。そうしたアジアのお化けを、日本に紹介したいと思った。もうひとつの動機は、お化けが出てくる不思議な出来事、そのものを探求したいという心。お化けは目には見えない。でも、アジアの人々は、特にジャングルの中などでは、日常的に"いる"と感じて生活している。東京ではそのような感じは殆どない。 (3)先程、かぶっていた仮面は、バリ島で入手したもので、〈バリアン・バトゥール〉という魔神。〈バリアン〉は、呪術でひとを癒す「呪医」のことで、〈バトゥール〉はバリ島の火山の名。これは、ほどほどの魔物で、もっと邪悪なお化けがバリ島には数多くいる。そうしたお化けが出てくる呪術的な劇が頻繁に行なわれている。 (4)自分はピアノが好きで弾くけれど、何年もかけて、ピアノ音楽の歴史を辿るような練習をしている。すると経験的にわかることがある。小説も同様であり、ひとつの国の文学を歴史を辿って読む。SFやファンタジーにも、やはり歴史があり、変遷があることが判る。お化けについても同じで、できるだけ古いお化けから、親しみたいと思った。そうすると、ジャングルの中の、いわゆる森の精霊が、人類にとってのお化けの源という感じが徐々にわかってきた。 (5)お化けのことを調べるためには、先ず、よき相棒となる現地の人を探すことから始めねばならない。そうした相棒と、バリ島で〈バリ・アガ〉とよばれる先住民の村へ行ったことがある。村の少年に、村の入り口の老木に精霊がいるといわれ、近くの大きな岩にも時々精霊が降りてくるといわれた。「霊木」と「霊石」の考え方があり、それらが村を守っていると信じられている。また、死者は黒いカヌーに乗せて湖に流す。それが自然と墓場に辿り着く。行ってみると大変な数の白骨があった。墓場の隅に、ぐるりと布を巻いただけの遺体が、粗末な草囲いだけで横たえられていた。森の精霊が、死者から"すべてを森に持ち去ったら"白骨になるとの話。こうした埋葬法は「風葬」とよばれるが、死者を葬るのは「風」ではなく、「精霊」である。 (6)マレーシアでは元首相の弟というエスタブリッシュメントの最上にいる階層の老人から、面白い話を聞いた。〈ブオラン・ブニアン〉という妖精がいて、姿は見えぬが、声は聞こえる。女性の声である。この目に見えない妖精と親しくなり、結婚している男が、彼の友人にいる。驚いたことに、〈ブオラン・ブニアン〉は普通の女性同様、里帰りする。その故郷は、ボルネオのジャングルの奥地であり、そこに精霊と妖精の人間の目には見えない美しい街がある。ある金持ちがヘリコプターを飛ばし、その精霊の故郷の正体を突き止めようとして、上空から撮影した。だが、フィルムを現像してみると、マホガニーの巨木が一本写っていただけだった。そんなふうに、国によっては、有力政治家の親族や、財閥企業の総裁たちでも、ジャングルの精霊を信じて、生活している。 (7)アジアには呪術師がいて、人々は呪術師に病気を治してもらう。あるいは妖術師に依頼して、特定の相手に呪いをかけてもらう。日本では古来、呪術は権力中枢の秘中の秘であったため、なかなかぴんと来ない。けれども、日本でも時の政治権力者は、政敵に激しく呪いをかけ合っていた。だから、呪いの伝統、風土はある。現在も特定の神社が、本殿とは別に、呪いの小さな社(やしろ)を敷地内にもち、呪いたいという負の感情を引き受けているところがある。たいていは、男女関係の呪いで、名前と写真を釘や針で刺した絵馬が鈴なりに提げられている。丑の刻参りの伝統は今も生きている。 (8)化け物(妖怪)と幽霊は異なる。その違いについて、民俗学者の柳田國男は次のように言っている。化け物(妖怪)は、出る場所が決まっていて、相手を選ばない。むしろ、平々凡々の多数に向かって、交渉を開こうとする。幽霊は、出たい相手が決まっていて、足がないという説があるにもかかわらず、百里遠くへ逃げても追いかけられる。柳田國男が深い関心を寄せたのは、化け物(妖怪)である。柳田國男は、化け物(妖怪)について、ずっと昔の、前時代の信仰の忘れられた神様の、うらぶれた姿だと考えた。 (9)中国人は、森の精霊の世界とは違う、また異なった考え方をしている。中国人の見えない世界の中心にいるのは、鬼(グイ)である。これは日本の赤鬼や青鬼とは違って、人間が死んでなるもの。日本の幽霊は、そうなる事情がある人だけがなる。中国文化圏では、基本的に全ての人が、死ぬと鬼になると考えられている。だから、人間が暮らしている街には必ず鬼がいる。今、この場所にもいる。銀座等は鬼だらけ。それが中国人の見えない世界の考え方。台湾で珍しい体験をした。四人の若い男と飲んでいたら、一人の気配がおかしくなって、何もいわないまま、トイレに入った。やがて、中から「幹(ガン)!」と凄い声が起こり、水を流す音が聞こえた。さっぱりした顔で戻ったのでどうしたのかと聞くと、彼の肩に子鬼が乗っており、その小鬼を流したとのこと。トイレは密室なので、そこで思い切り大声で脅すと、鬼は逃げる。後は水を流せば良い。そんなふ うにして、たいした力のない小鬼は、トイレに流してしまう。 (10)お化けが暮らしのなかにいるか、いないかで、人生は二つに分けられると思う。それは、お化けのいる人生と、お化けのいない人生である。無宗教の人は沢山いる。しかし、聖的なものを全て排除して生きていくのは難しい。そうした、あまりに合理的な場所では、往々にして、人間は自分たちの心がすがる縁として、新しい神やお化けをつくりだす。新しいお化けのほうが、恐ろしい。もし伝統的な化け物(妖怪)が20世紀の日本にも息づいていれば、オウム真理教のような事件は起きていなかったのではないかと思う。これまでアジアを旅してきて感じたことは、"お化けがたくさんいる土地の人々は幸せそうに見える"ということである。お化けを信じ、時々ドキリとすることで、幸せを感じやすくなるのではなかろうか。つまり、お化けのいる人生は、きっと幸せが手には入りやすい人生だと思う。 |