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日時: | 2006年9月20日(水)11時30分~14時 |
場所: | 銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: | 65名(内65会会員:江原、大隅、梶本、山根、峯) |
講師: | JSR(株)生産技術部ライセンシングマネジャー 雫石 潔氏(75期) |
演題: | 「今なぜインド?!!(20年通ったビジネスマンの雑感) 今経済発展著しく、BRICK's の一角を占めるインドの現在、過去、未来」 |
講師紹介: | (同期生からの紹介)講師は新北野中から北野高校を経て大阪大学基礎工学部化学工学科卒。日本合成ゴム(現在のJSR)入社後は技術畑一筋に勤務。人格円満な人物で謡を39年間続けている。今日はインドに関する面白い話が聞けることを期待している。 |
講演内容: (要点のみ) |
(1)私は、27年間ライセンスという仕事に携わってきた。主に発展途上国に知的財産である技術を供与する仕事である。知的財産の訳の分からない話をしても、せっかくのおいしい料理が不味くなると考え、ライセンスの仕事で20年通っており、今経済発展著しく注目を浴びているインドについて、私の感じたことをお話したい。 (2)インドは、ご存知のとおり、多い人口と広大な国土、いろんな宗教、文化、民族が住む大国である。インドの研究者でも、駐在員でもない、一介のビジネスマンである私が、インドを語るは、目の不自由な人が象を触るようなものだと思う。今日の私の話で、興味をもたれた方は、是非ご自分でインドに行かれ、その目でご確認いただきたいと思う。 (3)今でも私の同期は、私のことを「ポタリ」と呼ぶ。実は、「ポタリ」は父のニックネームであり雫が「ポタリ」である。私の父は、18年間北野でお世話になり教鞭を取っていた。幹事の方から父の近況も述べよと言うことなので、そこから私の話を始めたい。 (4)父は、今年96歳になったが元気である。90歳までは、毎日五月山に登り、かかさず同窓会に出席していた。94歳まで自転車に乗り、池田の室町で一人暮らしをしていた。今もヘルパーさんと二人で暮らしている。 私が北野に入学したとき、丁度父が私たちの学年の漢文を担当することになっていた。しかし、親子ではまずいと言うことになり、あの七色ふんどしで有名な田上先生が、我々を担当されることになった。1年生の第1回目の試験にほとんどの人が、零点をいただき、青くなったり、赤くなったりした。これは何を隠そう私のせいである。同期の皆様には、この場をお借りして、こころからご同情申し上げたい。 父は、北野在職時は聖書研究会の顧問をしており40年間敬虔なクリスチャンであったが、考えるところがあり突然仏教徒に変わった。今は敬虔なる仏教徒で、仏教書なども書いている。 本といえば、父は若い頃から山登りが好きで、「足で見る山」という本を出した。これがテレビ局の目に留まりドラマ化された。北野の教え子で大阪府庁に勤める方が難病にかかり、不幸にも失明された。失意のどん底におられたとき、夫人はご主人が山が好きだったことを思い出し、危険な目にあいながらも二人で山を登り、見事に立ち直ると言うドキュメンタリードラマである。父も何度もご夫婦と一緒に登った。 父は、二年ちょっとで白寿である。「取りあえず、百まで生きる」と言っている。皆さんも頑張って頂きたい。 (5)さて、インドである。西南アジアに位置し、主要な都市は、首都のデリー、ビジネスの中心ムンバイ、自然発生的スラム街の町といわれるコルカタ、南東のチェンナイ(昔のマドラス)である。国土は日本の9倍(中国はインドの3倍)と大きい。人口は今月の国連の推計で11億人。中国は一人っ子政策。一方インドは宗教上子供は神からの授かりもの。一人っ子政策なんて考えも付かない。従ってインドの人口は今後も順調に伸び、2022年には中国を抜いて世界一の15億人になるといわれている。 私がインドに関わるようになった二十年前から話を始めたい。 (6)インドの不思議《その一》 「インドで瞑想に耽るのにハシシは、いらない」こう言ったのは、横尾忠則である。私とインドの出会いは、強烈なものであった。1980年代インドに行こうとすると、南回りヨーロッパ行きが、ムンバイに深夜(時差が3.5時間なので日本の夜明けごろ)に到着する便しかない。空港の出口を出るとポーターが群がって来て、荷物を奪い合う。荷物を取られないよう、ポーターを蹴散らすように駆け込んだ迎えの車にどかっと腰掛けると、暑さと、時差ぼけで、ぐったりしてしまう。 空港からダウンタウンのホテルまで車での約1時間。薄暗い町並みをぼんやり眺めていると、歩道の上に何か延々と転がっている。「なんだろう、丸太かな」と思って目をこらすと、何とそれは人である。何千何万という人が道路に寝ていたのだ。 次にオールドデリーを訪れたときのこと。人、車、牛や鶏や犬などの動物が、それ程広くない通りに、皆思い思いの方向に、ぐじゃぐじゃに動いている。その雑踏の騒音とほこりと強烈な匂い、強烈なエネルギーに圧倒された。何と言う混沌、なんというカオス。暫くなにも考えることができなくなり、呆然とした。 以上のようなカルチャーショックというか何と言うか、暫く何も考えられない状態の後、何か頭がすっきりした。「インドで瞑想するのにハシシは、いらない」横尾忠則の言うことが分かるような気がした。 (7)インドの不思議《その二》 インドには800を超える言葉があるといわれている。例えば、インドのお札1ルピーには、1ルピーということを13種類の言葉で書かれている。我々がビジネスで使うのは準公用語の英語。インド人同士はヒンドゥー語。それに各州にその州の言葉がある。従って我々が仕事でお付き合いする人は、最低3つぐらいの言葉は喋る。 (8)インドの不思議《その三》 私が会った人の70%以上は、菜食主義である。宗教上から来ているようだが、健康のためという人もいる。菜食主義にもいろいろあり、厳しい人は植物であっても根絶やしは駄目と、人参や大根などの根っこも食べない。卵はOKという人。有精卵は、駄目という人。牛乳やヨーグルトはOK。日本で食事に招待する時は、非常に気を使う。インドが人口が大きくてもやっていける理由の一つとして、多くの菜食主義者がいることだと思う。穀物を食べて育つ動物をインドの人が食べたのでは、食料が不足し、飢餓を迎えるのではなかろうか。 (9)インドの不思議《その四》 インドでは象が肖像権を主張する。ある時象にカメラを向けると、突然象が私に迫ってきた。あっ踏み潰される!!後は川で絶体絶命である。そのとき象使いが「バクシーシ」と言った。喜捨してくれとのことだ。財布から10ルピーを象に渡すとなんと象は、器用に鼻で10ルピーを受け取り、象に乗っている象使いにくるりと渡した。インドでは象が肖像権を主張するのだと大変感心した次第。 (10)インドの不思議《その五》 インドには禁酒州がある。しかしその州のアルコール消費量がインドで一番である。その州は、石油化学の中心であるグジャラート州という。グジャーラートはあの有名なインド独立の父であるマハトマガンジーの生まれたところ。マハトマガンジーは非暴力不服従運動でイギリスをインドから追い出した。当時イギリスは、インド人から塩を作る権利を奪いインド人は自分たちで塩を作ることができず、イギリスから塩を買わなければならなかった。そこでマハトマガンジーが、インド人に塩を作る権利を取り戻そうと、全国に呼びかけ、インド人の警官に殴り倒されても殴り倒されても、何度も立ち上がり、遂には警官も行進に加わる大行進になったという。有名な塩の行進である。その聖者マハトマガンジーが生まれたところなので、禁酒州となった由。しかし外国人は、インド大使館に行けば、drinking licenseがもらえる。健康のために酒を飲むことを許諾すると書かれているとのこと。 (11)インドの不思議《その六》 インドには表と裏が逆になったホテルがある。ムンバイのタジホテルである。英国人の設計士が帰国中に180度間違えて建てられた由。本来は、ジョージ5世の訪印記念に建てられたインド門の横に、海に向かって鶴翼の形となるべきであったのが反対になってしまった。仕方なく玄関車寄せの前にプールがあるといったホテルであるが、それでも宮殿のようで素晴らしい世界屈指のホテルである。 (12)インドの不思議《その七》 インドには弁当のインターネットがある。NHKで報道されたので、ご記憶の方もおられると思う。夫が会社に出かけた後、夫人が愛妻弁当を作る。弁当箱は、金属の円筒形である。上にペンキでxとか丸とか簡単なマークがあるが、きちんと間違えずに届くとのこと。 (13)インドの不思議《その八》 インドには、象の頭の神様がいる。ヒンズー教の一番の神様、破壊の神であり、創造の神であるシバにガネーシャという息子がいた。言うことを聞かないガネーシャに怒ったシバが息子の頭を取ってしまった。しかしながら頭が無ければ不便だということで、向こうからやってきた象の、その頭を取ってガネーシャの胴体に付けたという。 インドの宗教は、9億人がヒンズー教、1億人がイスラム教、キリスト教が2千万人となっている。1948年パキスタンが分離独立したときに多くのイスラム教は、パキスタンに移ったが、インドに残った人も多くいた。キリスト教徒には、カーストの最下層の人がカーストから逃れるためにキリスト教に改宗した人が多くいるとのこと。 (14)インドの不思議《その九》 インドには一試合するのに1週間かかるスポーツがある。クリケットであるが、これは省略。 (15)インドの不思議《その十》 インドのゴルフ場にはフォアキャディがいる。インドではゴルフバッグを運んでくれるキャディの外にフォアキャディという坊やが我々の先を行く。池ポチャをやると、ぶくぶくぶく、また別の少年が池の中から現れて、「おじちゃんのボ ールこれ。はい!」と渡してくれる。ここで10ルピー。ゴルフバッグを運んでくれるキャディは、髭を生やしてお腹の出たおじさん。これもインドのカーストの一つであろうか。 (16)インドの不思議《その十一》 インドには、世界最大の洗濯場がある。向こうが見えないほど延々と続く、畳2枚ほどのスペースに、腰巻一つの半裸の男が、洗濯物を石にたたきつけて洗う。もちろんワイシャツならボタンは吹っ飛ぶ。 インドのカーストは、3000年続く世襲制職業身分制度。バラモン(司祭)、クシャトリア(武士)、ヴァイシャ、(平民)、シュードラ(奴隷)。4つを基本に2000に細分化されているといわれる。この他に最下層として不可蝕民(アチュート)がいる。不可蝕民は、輪廻から外れ、二度と再びこの世に戻ってこられないそうである。カーストは法律では禁止されているが、社会には厳然として残っているとのこと。 現在大学入学の不可蝕民向け優先枠を大幅に増やすということで、受験生が焼身自殺をして抗議するといったことが起こっている。 (17)インドの不思議《その十二》 インドは夏が2回ある。5月と9月が非常に暑く、私は、43度を経験した。木陰にいて、風が吹いて来たら熱風だった。次の日40度になったら、今日は少し楽だなあという感じ。昨年技術移転で工場の試運転をしているときに、一日で1000mmの雨が降り、大洪水になったことがある。インドの経済にとって雨は非常に大切で、雨がないと農業が駄目となり、農民が70%の国なので景気は悪くなる。1-2月は寒く日中は20度あるが、夜明け前は10度をきることもある厳しさ。 (18)インドの不思議《その十三》 インドの政治のキーパーソンの一人は、イタリア出身の女性である。 与党:国民会議派 1947年インド独立後ネール首相。1966年に娘のインディラガンディが首相に就いた。彼女は、彼女の警備隊員に1984年暗殺された。今でも暗殺現場は、ガラスの箱に覆われ彼女が流した血の跡が保存されている。1984年その息子のラディブガンディが首相になり、三代続いたネール王朝といわれた。彼も1991年5月21日、体に爆薬を巻いたタミール過激派組織の女性が花束を渡すとき、自爆し暗殺された。 1996年会議派は選挙に大敗。しばらくヒンズー教基盤のインド人民党主導政権が続いた。インド人民党は、ボンベイの名前をムンバイとか、マドラスをチェンナイとか昔の名前に戻した。 2004年総選挙が行われた。有権者4億人の世界最大の総選挙である。ソニアガンディ総裁の国民会議派が勢力を回復。しかし過半数は取れなかった。ソニアガンディは、イタリア出身ということから、首相にはならず、かつて財務大臣であったシンさんを首相にした。シンさんは経済学者で、今のインドの経済の発展を上手にコントロールしているといえる。またソニアガンディは、首相にならなかったが、非常に賢明であったと思う。 (19)インドの不思議《その十四》 ムンバイの土地の値段は、東京並み。ムンバイは、7つの島をつないだ細長い半島のような町。土地が非常に狭く、また相続税のないインドではほとんど売りにでない。アパートが買えないため結婚できないといったことが起こっている。日本人の駐在の人達も月100万円以上といった家賃。内装は綺麗だが建物は古く倒れそうで、エレベーターもきちんと止まらない。 ムンバイは、現在郊外にnew townができて、どんどん拡大している。 (20)インドの不思議《その十五》 インドの電力は、電圧だけでなくサイクル数も変化する。ある会社に技術を供与し、試運転を行っているときだった。インドはインフラがしっかりしていないので、大抵の工場は、自家発電を持っている。発電機が故障したので、外部から電力を購入した。すると、電気のサイクル数が大きく変化した。電気のサイクル数が変わるとPlant全体のポンプの回転数が変わる。Plantには流量制御弁が設置されており流量を一定に保とうとするのだが、大きく変化されるとやはり制御は乱れる。その工場の港にはお客さんの船が製品を待っており、製品規格を保つのに随分苦労した。 (21)インドの不思議《その十六》 ボンベイには、ハリウッドならぬ映画の都ボリウッドがある。民衆の最大の娯楽は映画。映画の製作数では世界のトップクラスである。 インドでは、ヌードがご法度である。やたらと雨のシーンや、池、川、海などでヒロインが水にどっぷり濡れるシーンがある。サリーが体に張り付いて真に魅力的になる。 (22)インドの不思議《その十七》 インドには「走るシーラカンス」といわれる車がある。50年間model changeしなかったambassadorである。この車で、大きな4人のドイツ人とニューデリからほこりだらけのでこぼこ道を500キロ移動したことがある。車の重さは1トン以上あり1300CCなのでcoolerは、つけられない。気温40℃死ぬ思いだった。 オートリキシャとよばれるダイハツミゼットのようなタクシーが走っている。リキシャは人力車の日本語ではないか。なぜインドで日本語でよばれるのか不思議である。 最近インドの自動車は急に新しくきれいになった。インドは、一日の生活費300円以下で過ごす9億人の貧困層と、ほんのわずかな大富豪の2層構造であったが、最近その間にニューファミリーと呼ばれる中産階級が増えてきた。現在購買力のある経済人口は、2億人といわれている。中産階級が増えたので、自動車を買える人が急速に増えてきた。販売伸び率は年20%とのことで、2004年には100万台となった。インドには世界の主な自動車メーカーが出ているが、20年以上も前からインドに進出しているスズキが断トツ。トヨタ、ホンダ、GMが巻き返しを計画している。インド/日本/中国の自動車生産台数を見てみると、インドが100万台、日本が1千万台、中国が半分の500万台である。 次に基礎石油化学製品であるエチレン生産量を見てみると、インドが240万トン、日本が750万トン、中国が540万トンである。インドが日本の1/3、中国が2/3。自動車に比べるとインドも中国も日本に追いついてきている感じである。 次に私が勤めているJSRの一つの主力製品である合成ゴムを見ると、不思議なことにインドはたったの7万トン。日本は200万トン。中国は130万トン。インドは日本の30分の一である。いくら天然ゴムの生産国だと言っても小さすぎると思う。 JSRは、もともと「日本合成ゴム」と云い、日本で石油から合成ゴムを造るべきだと、49年前に半官半民で設立された会社である。今では100%民間会社となっており、合成ゴムの売り上げが全体の40%を切るようになったので、社名をJSRに改めた。 インドで生産されている合成ゴムの60%は、JSRの技術で生産されている。現在インドでは合成ゴムが逼迫しており、製品倉庫の在庫はゼロ。トラックが工場に横付けされ製品が出来た端から出荷と言う状態である。 (23)インドの不思議《その十八》 インドに通いだして、4回連続でお腹を壊した。ミネラルウォーターで歯を磨いても、どこからかばい菌が入ってくる。徹底的に手を洗い、しょっちゅううがいすることにしたら、お腹を壊さなくなった。ご存知のとおり、彼らの左手は、トイレットペーパーなので、握手の後は、できるだけ早く、手を洗う。 駐在している人達からはインドの医療は、信頼できると聞いていた。アメリカの医者の20%はインド人だと云われている。 最近では世界の医療センターとなりつつある。安くて高度な医療が受けられるということで、欧米から治療に来る人が、大勢いるとのこと。中国でも上海に外人向けに高度の治療を行う病院があると聞いた。4-5ヶ月前の文芸春秋に日本の医者に見離された難病患者が、インドで見事に直ったと言うコラムが出ていた。病気でお困りの方をご存知の方、一度ご検討されてはと考える。 (24)インドの不思議《その十九》 インドに松下幸之助のような人がいる。インド最大の財閥リライアンスグループの創始者のビルブハイ アムバニ氏がその人。 繊維を売ることからスタートし、繊維の生産、そこから更に上流の石油化学、石油精製、発電、通信、銀行、保険最後にはインド東のオフショアでガス田の開発。そして3,4年前に見事掘り当て2年ほど前に亡くなった。その時売り上げは、1兆円になっていた。 リライアンスは、非常にアグレッシブな会社で、私の会社の技術を供与したときは、普通24ヶ月かかる石油化学工場を僅か、18ヶ月で完成させた。新記録である。リライアンスは、政府系No. 1石油化学会社Indian Petrochemical(略称IPCL)を買収した、というよりも政府がリライアンスに買ってもらったということ。私の会社は、IPCLに合成ゴムの技術を供与していた。IPCLが民営化されて驚いた。一人一人に携帯とパソコンを持せた。国営であったときは、一日中議論ばかりしていたが、一人一人の目の色が変わった。儲からない工場は、即座に閉鎖。従業員は、退職金を積み増して大量解雇。さいわい合成ゴムは、儲け頭だったので、私の友人は、首にはならなかったが、皆大変よく働くようになった。しかしながらこれはインドの中では特別の会社である。 (25)インドの不思議《その二十》 最近急速に伸びているインドの産業として、アウトソーシングがある。インドは、アウトソーシングの世界のセンターになりつつある。毎年12万人の技術系大学の学生が卒業する。現在ソフトの開発、dataの入力、電話代行、最近になって会計士、弁護士、アナリストなど、アウトソーシングがより専門的になってきている。人件費が安く、英語が話せるのが強み。 (26)インドの不思議《その二十一》 インドは中国のようになるであろうか。なるという人もいるが、多分ならないのではないかというのが大半である。最大の理由は、インド政府が急速な発展を望んでいないこと。外資導入は、そう上手くいっていないようだ。高金利、5000年続いたカースト、イスラムのテロ問題、識字率 65%、貧困10億人の中8億は、1日300円以下で生活、労働組合が非常に強くストが頻発する、エネルギーが足りない。(石油の自給率30%)、インフラが未整備(水、道路、鉄道、港湾)、一日1000mmの雨も降ったが、乾季には水不足。水が無く農業用に水が回されるため工場を止めざるを得ないこともあった。 今から20年前、インドと中国のGDPは、ほぼ同じだった。10年経って、インドと日本は2倍、中国は3倍になった。インドの成長率は、今もそう変わっていないようである。 (27)インドの不思議《その二十二》 インドには、白いタジマハールの他に未完の黒いタジマハールがある。この世界七不思議の一つといわれる美しい建物は、ムガール帝国(16世紀―19世紀)の皇帝が亡くなった奥さんのマハール王妃のお墓として22年かかって17世紀中ごろに建てた建物。小さく見えるが天辺は20階建てビルの高さほどある。この白いタジマハールの直ぐ裏にガンジス川の大きな支流が流れている。その対岸に黒いタジマハールを建てようとして、城壁が少しできたところで工事はストップしたまま。皇帝はここに自分のお墓を作ろうとしたが、余り金を使いすぎムガール帝国が傾くほどであったので、息子が皇帝をアグラ城に幽閉し、工事を止めた。 このドームの真下に王妃と皇帝のお墓があるが、そこでタジマハールの案内人が、コーランを歌ってくれた。ドームの天井に反響し、それはそれはすばらしいものだった。私はすっかり気持ちがよくなり、日本の古い600年前の謡を謡ってもいいかと聞くと「どうぞどうぞ」とのことなので、「千秋楽は、民を撫で、――――声ぞ楽しむ。」と謡ったところ、声は不思議と吸い取られぜんぜん響かなかった。 タジマハールは、コーランを受け入れ響かせるが、日本の文化は拒絶することが分かった。 以上、私の勝手なインドの印象を申し上げたが、インドは一度行くと病みつきになる人と、二度と行きたくないという人と別れると云われている。一度ご自分で行かれそれを確かめて頂ければと思う。ひょっとすると病みつきになるかもしれない。 ご清聴ありがとうございました。 |