東京六稜倶楽部【報告】
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    第26回

    reporter:峯 和男(65期)

      日時: 2005年2月16日(水)11時30分〜14時
      場所: 銀座ライオン7丁目店6階
      出席者: 71名(内65会会員:大隈、梶本、正林、山根、峯)
      講師: 映画制作・上映 企画制作 パオ(有)代表取締役
      映画監督 槇坪夛鶴子氏(71期)
      演題: 「映画とともに生きて〜夢です希望です」
      講師紹介: (同期生からの紹介)槇坪さんとは高校3年時に同じクラスになった。その時の印象は「お化け」。理由は、前髪を両目までたらし、目が見えない状態。今では可愛い女性になっている。彼女は高校時代水泳と演劇をやり、早稲田大学時代は演劇一筋。学生結婚をして8年後に離婚。米倉斉加年氏の紹介により27歳で映画界入り、スクリプターを18年間務めた後、映画監督となった。「徹子の部屋」にも出演。黒柳徹子さんは彼女を“不屈の人”と評した。監督として取り組んでいる題材は「人間の本質」。
      講演内容: 
      (要点のみ)
      (1)現在私は64歳、母は87歳で文字通り「老々介護」を行なっている。自分も40年以上リューマチと付き合っており車椅子生活。母は痴呆で大阪から呼び寄せ介護している状況。

      (2)5歳の時広島で原爆を体験、どうしたら人と人が仲良くやっていけるのかと思った。当初は、医者になって無医村に行きたいと思った。中学1年の時両親が離婚、愛人と暮らしていた父のところへ行った。当然ながら居心地悪く、早くこの家を出たいと思った。高校時代もなるべく家にいる時間を少なくするため、部活や映画などに熱中した。人に顔を見せられないという気持から前髪を長く目のところまで垂らしていた。

      (3)高校時代も大学時代も「コックリ」という綽名がついていたが、例の「コックリさん」ではなく、「いつも寝ている」という意味。授業中は実によく寝ていた。

      (4)私は、映画を通して家族というものを学んだ。小学校6年の時「風と共に去りぬ」を見て悪女でも生きていけると思った。

      (a)映画「老親ろうしん」について【ビデオにより主要場面を映写】
      2001年 第17回山路ふみ子映画賞福祉賞、第25回日本カトリック映画賞、第20回藤本賞特別賞 をそれぞれ受賞。
      主演:萬田久子、小林桂樹、草笛光子(注:音楽は槇坪監督の子息が担当)

      原作者、門野晴子氏からは 小林桂樹、草笛光子両氏を使うことという条件がついた。小林さんは「ボケ役はやったことがないが、自分も76歳それに相応しい齢になった。但し関西弁は苦手」とのコメント。草笛さんは「こんな意地悪な役はやりたくない。山岡久乃さんが適役(既に亡くなっていた)。児童虐待の役はゴメン。役者として納得出来なければやれない」と、かなり強い抵抗があったが何度も粘り強く交渉し最終的に受けてくれた。但しお二人とも実際の撮影の時は全て監督に任せてくれて、終わった時は「またやろう」と言ってくれた。岩波ホールで2ヶ月のロングランで大ヒットした。見る人に勇気と希望を与える映画として賞を受けた。
      この映画に出演した米倉斉加年氏は、私が映画界に入るきっかけを与えてくれた。当時、離婚を決意、近所に住んでおられた米倉氏に相談に行った。米倉氏からは「自立せよ」と言われ、同氏の紹介で記録係を18年間務めた。この間、「いつかは監督をやりたい、是非やろう」と考え、自分の思いを映画を通じ人々に伝えたいとの気持ちが強まった。

      (b)映画「子どもたちへ」について【ビデオにより主要場面を映写】
      〜いのちと愛のメッセージ〜(小・中学生対象)1986年度作品。文部省特選。(いのち、愛、生き方等を考える性教育映画)

      小学校5年生の子供達が主役。自分の息子も出演した。この映画は600本位の中から3本しか受賞出来ない文部省特選になり、そのお蔭もあって大ヒットした。実は、自分の子供を置いて撮影に行けないので連れて行き子供も出演させて作った。子供を抱えているためとはいえやや安易な作り方をした経緯あり。知らず内容を覚えている人々が多く、現在も見られている。

      (c)映画「若人よ」について【ビデオにより主要場面を映写】
      〜いのちと愛のメッセージ〜(中・高校生対象)1987年度作品。厚生省推薦。

      広島を舞台に高校生の妊娠・退学などの問題を扱う。避妊・中絶・性病など現代の子供達にとって避けられないテーマに取り組む性教育映画。この映画は中・高校生2百万人位が見ている。映画の題名、監督の名前も知らず内容を覚えている人々が多く、現在も見られている。

      (d)映画「地球っ子」について【ビデオにより主要場面を映写】
      〜いのちと愛のメッセージ〜(小・中学生対象)1993年度作品。芸術文化振興基金助成作品。 厚生省中央児童福祉審議会児童文化財推薦。

      この映画はエイズを題材にしている。制作の前々年に血友病感染者が多発差別事件が次々に起こった。小学2年生を主人公として作った。エイズはどんどん広がっており、自分の映画を見てくれたらいいのにと思った。この映画も「いのちと愛のメッセージ」シリーズ3本の中の1本で、3本とも出産シーンがある。生々しい出産シーンも、科学的映像ということで全て映倫をパスしている。子供達は出産シーンを自分達の目線で見ている。つまり、母親と共に自分が大変な苦労・努力をしてこの世に生まれたことが判る。このシーンを見ることにより生命の大切さを子供達は理解すると思う。

      (e)映画「わたしがSUKI」について【ビデオにより主要場面を映写】
      (中・高校生対象)1998年度作品。厚生省中央児童福祉審議会児童文化財推薦。財団法人エイズ予防財団推薦。法務省/東京都衛生局薬務部協力。文部省選定。

      この映画は援助交際がテーマ。この中で覚せい剤、性暴力、HIV感染等の問題も取り上げている。援助交際は本人の勝手と子供は言う。誰にも迷惑はかけていないと言われると、大人はどうしてよいか判らない。子供に、あれはいけない、これはいけないと言っても子供達は絶対に聞かない。こうして、こうすると、こうなるということを見せ、子供達に考えさせることが重要。自分のことが好きになって貰えれば良い。

      (f)映画「母のいる場所」について【ビデオにより主要場面を映写】
      2003年度作品。久田 恵さんの小説をドラマ化した新作。

      80歳以上の人が多数出演しているが、本日会場を拝見して、ご出席の皆さんにエキストラで出て頂けたらコストも安上がりだったと残念に思う。主演の小林桂樹さんは即座に引き受けてくれ「何時から何時まで空けておけば良いの」との返事。紺野美沙子さんは「自分にも年頃の子供がいるので是非使って欲しい」と言われたので、「私はうるさい監督ですよ」と言ったがどうしてもとのことであった。紺野さんは監督に言われるのを待っており、言われることによって乗ってくるタイプ。馬渕晴子さんは闘病生活の後だったので心配したが、日に日に回復し無事撮影を完了出来た。彼女は股関節を手術してから病状が良くなった。久田恵さんの次の作品は、新作小説で64歳前後の人々を題材にした「シックスティーズの日々」。

      ※【報告者注】映画「母のいる場所」のちらしに黒柳徹子氏の推薦の言葉が載っていましたので全文を以下に記します。
      槇坪さんは「不屈の人」です。笑顔でお話なさる彼女を見ていると、長年の慢性関節リウマチに苦しみ、車椅子に乗りながらメガホンをとっている映画監督とは、全く想像出来ません。そしてさらに驚くべきことは、彼女はいまご自身も不自由な上に、痴呆の始まってしまったお母様の介護もしていらっしゃること!
      そしてさらに更に驚くのは、そのお母様が彼女の車椅子をどこに行く時も見事に押していらっしゃること!「徹子の部屋」の収録で、実際にお目にかかったお母様はとてもお元気で人懐っこい笑顔を私に返して下さいました。必要とされていることの、よろこびだと思いました。「二人で介護しあい、お互いの存在を“必要よ…”と確認しながら生活しているのよ」槇坪さんの強さが感じられる言葉です。
      今回の映画「母のいる場所」は老人ホームのお話です。今の日本には残念ですが、まだまだこのような施設が足りません。頑張ってきたお年よりの方々が楽しく暮らせて、支える家族の負担がもっと減らせる環境が絶対に必要です。この映画には老親問題・介護問題の「喜怒哀楽」が入っています。
      深刻に考えるだけでなく、笑いながら暖かい気持ちで問題の解決方法を見つけていく…とても勇気付けられる映画です。
      多くの方々に…特に若い方達!豊かな大人になれるでしょう。また現在こういう生活にある方!
      心強くなれるでしょう。心細く生きているかた!大丈夫、みんな頑張っているのですから。様々な世代の方にお勧めします。

      [参考]上映日時と場所:2005年4月9日(土)〜4月22日(金) 於:岩波ホール
       問合せ先:企画制作パオ(有) 電話:03-3327-3150

    Last Update: Feb.26.2005