日時: | 2003年月6月23日(水)11時30分〜14時 |
場所: | 銀座ライオン7丁目店6階 |
出席者: | 55名(内65会メンバー:大隅、正林、梶本、峯) |
講師: | プリハード株式会社 会長 蓑島紘一氏(75期) |
演題: | 「絵画の岩波文庫」 |
講演内容: (要点のみ) |
(1)昭和38年3月北野高校卒業後一年浪人して関西学院大学に入学、山岳部に入った。 (2)一年のうち200日は山にいたので残りはアルバイトその他で忙しく勉強をする暇も無かった。 (3)昭和44年大学卒業後現在の日鐵商事に入社、47年にプリハードを設立した(プリハードとは、絵を描くキャンバスに直接画像処理をすること)。 (4)自分の生き方に影響を与えた言葉 イ)元東大総長 林 健太郎氏: 「人間は生存(生きざま)そのものが芸術である」 ロ)アインシュタインの死に際の言葉: 「もうモーツァルトが聴けない」 ハ)岩波茂雄氏(昭和2年岩波文庫発刊に際し): 「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。…(中略)…その性質上経済的に最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世の読書子とのうるわしき共同を期待する。」 この岩波氏の言葉から、絵画の岩波文庫を作ろうという気持ちになった。 (5)複製芸術: 文学は文庫本により、音楽はレコード、CD等により広まるように絵画も版画、印刷絵画等により広まる。北野の先輩、手塚治虫氏はコピー芸術の最大の功労者と言えると思う。 (6)プリハードはデジタグラフを販売。 デジタグラフとは、プリハード社が開発した、インクジェット用キャンバスに出力された複製画の名称。世界の名画を「一枚から、好みのサイズで」注文を受け、原画の上下左右をカットすることなく、美術館で見る名画を同一縮尺でキャンバス上に再現することを可能にした「理想の複製画」。手でさわることも可能。また、従来の複製画は大量注文、大量販売でなければ採算が取れなかったがデジタグラフは一枚でも注文を受けられるところが従来と大きく異なる。 (7)プリハードの目指すところは世界の名画を一堂に集める空想美術館であるが、先ずは学校に飾ってもらうことから始めている。 全国の小中学校 40,000のうち 15,000校に飾られている。 (篤志家や生命保険会社等の企業の寄付による) (8)参考までにその価格を例示すれば以下の通り。 イ) 既製額サイズ: F3号(273x221mm) 50,000円 F8号(455x379mm) 65,000円 F12号(606x500mm) 80,000円 ロ) 目安となる号数: F30号(909x727mm) 150,000円 F50号(1167x910mm)300,000円 F100号(1621x970mm)600,000円 なお当日は、北野高校の先輩、佐伯祐三画伯の作品から「ラ・クロッシュ(大きな鐘)」及び「ノートル・ダム」の二点のデジタグラフが演壇の両側に展示された。 |