- 我が国の陸軍について
- 軍を統括する機関
- 参謀本部
- 教育総監部
- 陸軍省
- 平時編成
- 軍隊〜師団〜旅団〜連隊
- 兵種:歩兵,騎兵,砲兵,工兵,輜重,鉄道
- 各部:法務,兵技,経理,軍医,薬剤,軍楽
- 官衛〜司令部〜補給廠etc
- 学校
- 病院
- 特務機関
- 兵役の義務(国民皆兵)
- 徴兵制〜満20才の壮丁〜検査〜入営
- 幹部候補生の制度
- 学徒の徴兵延期
- 学徒出陣
- 俘虜とは
- 人命尊重(キリスト教精神)の見地から「俘虜は戦場に於ける最高の英雄なり」と外国では考えられている。わが国では左に非ず。
- 関係法規
- 戦時国際法〜定義〜資格要件
- 条約〜万国赤十字条約
具体的の取扱い規定
ソ連はこの条約を批准していない
- 中立国赤十字委員の駐在
- 奉天俘虜収容所の設立
- 目的 奉天にあった満州工作機械に就労さす為、南方で捕へた技術のある者を約1,000名集めた。
- 編成
- )管理部
- 総務
- 俘虜監視
- 経理〜金銭会計
物品会計〜糧秤、衣服、営繕
- 医務
- )俘虜収容部門
- 就労
- )当初は満工のみに就労さしていたが、半数は拙劣で役にたたず他に就労さす
- )就労先
第1派遣所(帆布会社)
第2派遣所(木材会社)
第3派遣所(皮革会社)
第4派遣所(中山鉄工所)
- 分所の設置〜戦局が悪化して台湾にあった高級俘虜収容所が危険になり、収容中の俘虜を受入れることになった(昭和19年10月)。
第1分所(西安)
第2分所(鄭家屯)
※第1分所には軍司令官級(ウエンライトバーレバル)16名程収容し特別の管理した
- 特別収容室の設置〜全満で捕へられたB29のパイロット約26名が憲兵隊より移送されて本所の近くで管理することにした。
- 中国西安にあった米軍司令官の使者が8月16日、B29で来奉落下傘降下で収容所の視察に来所。無条件降服の事実を知る。主要都市が焼土と化したこと
今後の管理について俘虜代表者と協議し、従来通り給与を頼むとソ軍の武装解除の日まで実施
武装解除後、今度はわれわれが俘虜として逆収容されることになる
- シベリア抑留生活について
- 期間 昭和20年12月〜25年2月
- 場所
- イルクーツク地区(20年〜23年9月)
- ババロフスク地区(23年9月〜25年2月)
- 日本将兵のソ連へ輸送
- ソ連収容所に移送されシベリヤ送りが開始
- 輸送の単位:1列車1500名(1ケ大隊1000名)鉄道で北安を経由、黒河に向かう。黒竜江の結氷を待ち氷上渡河。対岸のブラゴエチエンスクより入国(2月初旬)さらにシベリヤ鉄道でイルクーツクに向かった。
- 収容所の種類
- 赤軍労働大隊
- 内務省(ゲーペーウ)(ラーゲルと称す)
- 収容所の概要
- 住居
- )工密兵舎
- )在来の建物利用
- )幕舎
- 食事
- )黒パン(エンバク粉)
- )スープ
- )カーシャ
- 就労、作業〜「働かざる者喰うべからず」
建築工事関係に従事させられた 1伐採、2製材、3煉瓦工場、4ガラス、5駅構内の荷役etc 職人(大工、左官、鉄金、機械工、etc)は重用された。
- 保健、衛生〜極めて劣悪
入浴1ヶ月1回位(共同浴場) 医務室 日本軍医が常駐、診療に当たる。医薬品不足
- 余暇 生きるために食べること、睡眠が何よりの欲求である
- )娯楽〈イ〉碁、将棋、マージャン、花札
〈ロ〉演芸大会
- )小遣いかせぎに物品の作成
玩具、スプーン、指輪etc
- )アルバイト(ロシヤ人の家の手伝い)
薪割、農事、掃除、etc
- 抑留中ソ連の見聞、所感について
- ソ連人の日常生活
- 住居〜防寒上丸太造(ログハウス)
- 食事〜ジャガイモが主食
- 水道〜家庭にない(水汲み)
- 電気〜停電が頻繁に起こる
- 官営の売店(マガジン)日曜日休み
日常必需品を販売
- 入浴ー共同浴場(バーニヤ)
概してシンプルな生活である
- 所感
- 一般人は親しみがもてるが軍人、役人には好感もてない。
- 上下の格差が大きく中流クラスが少ない(学者、技術者、医師、etc)
- 女性の労働力は偉大
- 国家主義の教育が徹底(何でも世界一)
- スターリンの個人崇拝(銅像、写真)
- 少数民族が圧迫、酷使されている。
- ロシヤ語 文法は複雑で難しい。会話はブロークンで何とか達していた。吾々は大体下層の人達と接することが多く、上流者とは接触なかったので偏った見聞であったかも判らない。
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公式チラシ(JPG,444KB)
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