reporter:谷 卓司(98期)
学校側としても、対応に苦慮した…というのが本音のところだと思う。すでに生徒を主体とする文化祭実行委員会でさんざん議論を尽くされ、「豊かさ再考」というテーマで各団体の出展が決まって久しい…というよりは実施の直前(!!)になって、同窓会が参加を突然申し出たのだから。もしかすると、これは北野史上初の試みでさえあったかも知れない。
展示の素案が5月27日にWEB運営委のML上で示されるのに前後して、パネルスタンド用の資材の提供が、メンバーの建築家を通じて同期の施工会社社長から申し出られ、ベニヤ板20枚、角材(支柱、桟それぞれ)40本が早速、同窓会事務局に届けられた。
その間にもwebmasterは、展示用のパネルの打ち出しに追われながら、2ケ月後の『われら六稜人』に掲載予定の財界(?)大御所の取材のため上京。ついでに東京六稜会総会にも表敬訪問して帰るなど…東奔西走の毎日を送っていた。
工作の指示はwebmasterが独断と偏見の下でML上で勝手に展開していたが、やはりメンバーである住職や製パン会社社長、マンションオーナー、大学教授、財団OLらの手厚いサポートで(…このようにメンバーの職業を羅列してみると、如何にWEB運営委がアクの強い個性派集団であることかがお察し戴けるコトと思う…)みるみる内に完成した。
ボランティア・スタッフにしてみても、みな本業で多忙の合間に…「ン十年振りの文化祭」に興じていたワケである。人員構成は…それこそ日替わりでシフトしていたが、誰も強制をするものでなく、されるものでもなく…都合のつく者が自主的に積極的に母校に集まっていた。それでいて「ソツの無い見事な」連携プレーと「一を察して十を為す」手際の良さは、これこそが六稜魂の具現なのであろうと思われたのである。
朝まで必死にプリントアウトしていたwebmasterを尻目に、当番スタッフは開会の朝礼に並ぶ後輩タチの隊列をしっかり撮影。解散の後は、早速やって来る生徒タチを対応すべく、あらかじめ六稜WEBをハードディスクにインストールしてあった、メンバー持ち寄りのパソコンを急いで会場に運び込んだ。
同窓会ブースは公式プログラムにも紹介されていたが、その甲斐もあってか…結構たくさんの入場を得ることができたようである。一説には、12時現在で150名を超える動員数が報告されてもいる。その5分の1くらいがアンケートに応じてくれた模様である。
また、パソコンの初心者で「トラブル解決法」を尋ねていく保護者や、掲示したパネル(A2ポスター)を「ぜひ譲って欲しい」という同窓生、自分が「連絡先不明者のリストに載っている」と指摘する卒業生なども訪れた。
中には当番スタッフの恩師も見学に来られ、懐かしい再会のなかで、今日ばかりは立場逆転して操作方法を教わっていたりもしたようだ。
気がついてみると…教室内の展示にばかり目が行っていて、肝心の看板を作るのを忘れているコトが発覚した。中に入るまで何をやっているか分からず、同窓会のブースである…というIDすら無かったのである。そこで急遽、事務局のパソコンで「六」「稜」「同」「窓」「会」の6文字を打ち出し、入り口の廊下壁に貼りつけたりもした。
結果的にはまずまずの盛況であり、生徒にしても保護者にしても…みな六稜WEBへの関心は一様に高く、内容の評価についても好意的なものが多かった。
今後も継続して、より充実した展示発表を文化祭で行いたいコトをみなで誓いあい、われらがWEB運営委の有志スタッフは満足感を胸に、真直ぐ帰途についた(あるいは十三の赤提灯に姿を消した?)のであった。
だから生徒諸君が、翌日(文化祭2日目)の恒例行事である芸術鑑賞(演劇)と講演のために、中夜祭もそこそこに真直ぐ帰途についた…かどうかは定かではない。