六稜NEWS-971108
    大正13年卒、現存14名中8名集う。
    【37期同窓会】

    reporter:菅 正徳(69期)



      日 時:1997年11月8日(土) 11:30〜

      場 所:関西文化サロン
         (阪急グランドビル19F)

      出席者:緒方裁吉、尾形健作、野々田景義、
          笠松 驍、大崎義夫、山村博三、
          百瀬凱二、嘉悦新一(みなさん37期、敬称略)


      春と秋の会合を楽しみに…。
       入学、大正8年。卒業、大正13年(4修は12年)の大先輩が同窓会を開かれるという情報を得、4名のWEB委員はおそるおそる…ちゃんとネクタイを締めて取材に向かった。
       11:30定刻に上記8名は勢揃い。娘さん、お孫さんの介護で車椅子の方もおられたが、すこぶるお元気。幹事役の緒方裁吉さんによれば連絡できるのは14名(※120周年名簿によれば卒業生は142名)との由。そのうち東京在が2名おられるのと、寝たきりで動けない人が1人おられるので実質11名。春(5月)と秋の年2回の会合を心待ちにしておられるのも充分うなづける。

      お聞きした当時の話をまとめてみると…

      • 当時の北野は大阪全域から入学できたし、尼崎(兵庫県)からでも授業料を2円50銭余計に払えば入学できた。ちょうど茨木中学ができた時で、そっちも受けたが身体検査だけだった。北野にはちゃんと試験があった。合格発表は成績順で張り出された。

      • 当時歌っていた「ポプラの並木六稜の」の歌について「WEB委員会で調査中」とのお話をすると、皆さん一生懸命思い出して下さり、次の通り歌い出しの一番が判明した。

          「ポプラの並木六稜の セメント塀に囲まれて
           恋のシーザー説き出す 赤鼻戴く五百名」

        ※赤鼻とは梶山延太郎校長のこと。五百名は北野の生徒数。この後順番に先生のあだ名が出てくるのだが忘れてしまった。何とかみんなで完成させたいという声が起こる。

      • 当時はクラブも野球部、陸上競技部ぐらいでラグビーもまだできていなかった。市岡との定期戦は毎年交互に学校でやった。山岳部はこの時代にできた…云々。

       とにかくお聞きしたいお話がぞろぞろ出て来るのだが、時間の関係もあり来年5月の同窓会に又お伺いしたい。それまでに「ポプラの並木六稜の」の歌詞の完成への御協力をお願いして失礼した。


    Last Update : Nov.13,1997