六稜NEWS-090101


パラグライディング世界選手権
日本代表:川上賢一さん@111期


reporter:谷 卓司(98期)

パラグライダーというスカイスポーツをご存知だろうか?
エンジンなどの動力を用いず、大空を風の力だけで滑空する競技で、ハンググライダーの一種と定義されている。今月、メキシコで第11回の世界選手権が開催されるが、その日本代表チーム(4人)に六稜人が選ばれた。彼の名は川上賢一(ラグビー部出身)。年の瀬に、同期が主催する壮行会があるという知らせを聞いて、本人に胸の内を聞くことができた。

逢って、まず驚いたのは、とても小柄な体躯だった。タックルでもされようものなら、ひとたまりのもないのではないかと思われた。当時のポジションをスクラムハーフと聞いて、少なからず納得した。そんな彼が「空」と出逢ったのは阪大時代。ハング・パラグライディングサークルに所属した。先輩の多くがハンググライダーに勤しむなか、川上は新しい競技「パラ」を選んだ。競技人口も少なく、彼は他大学や社会人の愛好家たちと率先して交流を持った。

パラグライディングは、山の斜面などを数メートル助走しただけで離陸する。あとは「上昇気流」をうまく掴んで高度を得、それを距離やスピードに変えて、滑空時間や距離、飛行コースや着地ポイントの精度などを競う。国家資格こそ必要としないが、民間航空規約では「航空機」に分類されており、単独飛行に際してはライセンス(技能証)が必要で、飛行技術に加え、航空理論・法規・気象学などの知識を必要とされる。

 
パラグライダー

ハンググライダー
「空」に魅了された川上は、いつしかパイロットを目指すようになり、操縦士の国家資格にもチャレンジしたが、これは叶わなかった。結局、大学の専門を生かすカタチで三菱重工業に就職。名古屋の航空宇宙システム製作所で、ボーイング旅客機の主翼の設計に携わることとなった。

間接的ではあれ「空」に関連する職業に就いた彼は、3年間の勤務のうちに、ついに社内でハング・パラグライダー部を創設、初代部長に就任した。伝統ある大企業という組織の中で、「前例」のない取り組みには、さまざまな困難が予想されたが、それを川上はひとつひとつ慎重にクリアした。こうして彼は、まさに大手を振って「堂々と」(少なくとも後ろ髪を引かれる思いで「長期休暇を申請する」必要はなくなった)世界大会に出場する地盤を固めていったのだ。


国内トップリーグの大会で2度の優勝を果たした
また彼は、競技のうえでも着実に駒を進め、国内トップリーグの大会で昨年2度の優勝を果たし、日本選手権で準優勝の結果、JHF(日本ハング・パラグライディング連盟)国際大会選抜ランキング1位を獲得。今月23日からメキシコで競われる第11回パラグライディング世界選手権の日本代表に選出された。

隔年で開催される世界選手権には、世界40ヶ国から強豪150人が集結。約2週間のあいだ凌ぎを削る。個人戦のみならず、国別成績も競い合う…まさに「世界一」を賭けた最も大きな大会といえる。川上の海外大会への参加は中国・インド・オーストラリア・ドイツ・イタリアに続き、これで6度目。メキシコシティから100kmほど西南の山岳地帯で行われる。


社内の応援団から贈られたトレーナーを
同期会の席で披露する川上さん

「いま自分がここまで来れたのも、高校時代に身につけた文武両道の精神のお蔭だと思います。何事も最後まで諦めない…という六稜魂が、世界の檜舞台で日の丸を背負って飛ぶ…という大きな夢の実現の根底に宿っていると信じています」

中部国際空港セントレアを今月21日に出発。米国アトランタ経由でメキシコ入りするという。世界の「空」の制覇に果敢にチャレンジする若き六稜人に、ここで改めてエールを送りたい。帰国予定は2月9日。

Last Update: Jan.1,2009