六稜NEWS-080421

北中記念碑の集い

reporter:飯田周助@48期

今年の記念碑の集いは4月21日に開かれた。元校長村田先生と卒業生ら28名が参集した。この北野の地の学舎に入学した最後の学年(昭5)が48回生である。筆者は級友三砂君に誘われ一昨年より参加しているが、今年は当時を知る者はこの2名のみとなった。この辺りは大阪駅北側の再開発により今後大きく変貌するであろう。

  中津校舎
▲一万分の一「大阪市北部」より(昭和4年) 拡大する
当時は校舎の北側を、阪神電車が東は天六から西は海老江のほうに向って走っていたが、通学には利用してはいけない事になっていた。筆者は天六から歩いて通った。正門を入った左側に別棟があり、動植物の研究室と一年五、六組の教室(筆者は五組)が入っていた。本館は古色蒼然たる建物であったが中の模様は知らない。剣道場が電車通りから見下ろせる場所にあり、ボロボロで通行の人達から内部が丸見えでよく授業を覗かれていた。田畑信先生は、このなか得意気に剣の型を披露しておられた。

当時北中生は宝塚の少女歌劇を見に行ってはいけない事になっていた。そのため兄(6歳年上、北中卒)は筆者を入学式前に宝塚へ連れて行ってくれた事を思い出す。同じ府立の浪高生はこのようなご法度はなかったようである。

北野の土地を離れて77年、今や十三に新北野などの名前が定着してしまった。折角この地に建立された記念の石碑、もし霊あれば永く北野高校の発展を護り給え。

last update : May.19,2008