六稜トークリレー【第43回】 「「光学ものづくり」から宇宙へ」石川 勇さん@71期 reporter:栗原敏子@73期 当時 新聞や TVなどにも大きく報道されたので 中学生だった私も 凄いなぁとびっくりしたのを覚えています。記憶では「私の秘密」に出られたように覚えています。毎月とっていた旺文社の雑誌にも載り ちょっとした有名人の先輩でした。 あれから50年。高校卒業後は 公務員として働きながら夜間の大学を卒業され いまも天体望遠鏡をつくりつづけておられます公務員を早期退職された後 光学ものづくりをする会社を立上げ 衛星搭載用の光学機器など 一品物の特注製品を生産されておられるのです。 新しいものを考えて工夫して作ると言うことがとっても楽しいと言う表情で 話されました。子供の頃 北海道の周囲に家一軒無いという原野に疎開して 工夫してものを作らなければ生活できない環境だったこと。くわえて 吃音(ご本人は どもりと表現されました)だったと言うことが 物作りと言う方面に進むきっかけだったとおっしゃいます。いまは どこにも吃音の痕跡は 残っていない滑らかな話しぶりでした。 とにかく何でも手作りしてしまう人。中学の卒業アルバムの写真は 手作りカメラでの撮影。レンズは 虫眼鏡2枚。filmではなく乾板と言うガラスの板を使った手作りカメラ。 家も手作り それも なんと宅地造成からされたと言うから これまた驚きです。 いまは 頭で考えて頭の仲で組み立てることは得意な人は沢山いるが 実際に手を使って作ると言うことが出来ない人が多いので ものを作ると言う分野では 後継者がいない と嘆いておられました。鉛筆も削れないと言う人が多いのです。 天体望遠鏡と言うものに魅せられて ひたすら作ってこられた光学機器は 現在のナンバーは IK-1122このIKは 苗字の石川のIKだと思ったら 御自分と奥様のお名前の頭文字を組み合わせたものだそうです。奥様とは 1号機製作のときから 望遠鏡作りも家作りも二人三脚でやってこられたのです。奥様のことに話が及ぶと 涙ぐまれるのです(誤解しないで下さいね 奥様ご健在です)。 14歳の私が感動した人にお会いできて その方が まだ望遠鏡 それも普通のではない凄いものを作っておられると知って またまた 感動しました。 お話の後 校舎屋上にある六稜天文台の望遠鏡も覗かせてもらえることになりました。この望遠鏡も石川先輩寄贈のもの。主鏡の直径51センチ 堂々たる望遠鏡です。製品No.IK51π。51番目に作られた天体望遠鏡です。 普段は鍵がかかって上がれない屋上に上がり まだ明るくて七夕の星は出ていなかったので 川向こうにある大阪スカイビルの窓を見ました。屋上の天文台と望遠鏡 そして屋上からの眺め スカイビルがすぐそこです。昔は屋上から 難波高島屋が見えたそうです。反対方向には西宮球場も。いまは 周囲にビルが増え 淀川の清き流れも少し見えるだけでした。 いつか この望遠鏡で星を見てみたいです |