六稜トークリレー【第41回】 「良き師、良き友〜柔道、送球、鎧球に育まれて」羽間平安さん@58期 reporter:奥田和夫@58期 58期の有志で、毎月1回の昼めし会(壮澪会)を開いているのですが、彼は、これにも顔を出し、関大理事長時代には、大学経営の現状、冬の時代と云われた大学経営の難しさに、その蘊蓄を傾けてくれたものでした。 この日の、彼の北中時代の思い出話では、「我々にとっても、同じ思いやったなあ……」と、生々しい思い出に浸ることが出来ました。あの断郊競走では、彼はいつも上位にランクし、スピードでは、自他共に認めていた「バラ」こと島原勲君(故人)をして「平安だけは、抜けんかった」と言わしめた、懐かしい思い出があります。それほど彼は、運動では、北中時代、際立った存在でした。 その後、関大のアメフット部のQB(クオーターバック)として活躍。甲子園ボウルでは大学日本一の栄冠に輝き、卒業後、社会人時代にも、永年、名審判として活動。その白い手袋は、彼独自のトレードマークとして、今もなお、スタジアムで、守り続けられているとの事です。 凸版時代には、頭と心と足を使う、考える営業マンとして活躍。あの懐かしい戦後間もない頃の、10円札を、財布より取り出し、それを刷っていた頃の思い出話。また、無人改札用の磁気乗車券の開発、銀行キャシュカードの開発等にも、携わり、営業第一主義の繋引役を発揮して来たものです。 58期の私達も、卒業50年を記念して、かつての思いを込めて『ああ母校北野中学』を凸版で製作出版しました。準備のための初めての幹事会を予定していた当日に阪神大震災が起こるなど……ハプニングを乗り越えて完成した文集でした。1人1〜2頁という事で、編集が始まったのですが、われわれの思い出断ちがたく、98人、380頁の豪華版になり。これも、出版にあたっての、彼の貢献は言わずもがな。われわれ皆、大いに感謝している訳です。 彼の多岐にわたる経験と実績は、いよいよトークを佳境に入らせ、聴衆は魅せられる様に、聴き入りました。時間の経つのを忘れ、彼自身、一番話したかったアメフットの話は、遂に時間切れとなって、話すことが出来なかった事を、トークの後、残念がっていました。 「良き師、良き友」として語ってくれたのですが、彼の友の一人として、これからも良き友の中に加えてくれることを念じ、筆を擱くこととします。 |