第5回北野高校コーラス部フェスティバル わが恩師、そして「島よ」のこと reporter:坂口和彦(90期/稜声会指揮者) 数年に一度開催する北野高校コーラス部フェスティバル、今回も現役コーラス部員を含む37人の稜声会(北野高校コーラス部OB・OG会)メンバーがステージで歌い、盛会のうちに幕を閉じることができました。お越しいただいたお客様、コーラス部OB・OGの方々ありがとうございました。 私が混声合唱曲「島よ」を指揮したのは今回が初めてですが、「島よ」については大切な想い出があります。私が合唱音楽に傾倒した人生を歩むきっかけに、プロの指揮者であり関西学院グリークラブ常任指揮者であった北村協一先生との出会いがありました。約25年前私が関学グリー2年生のとき、北村先生の指揮で一度だけ「島よ」の練習があり歌いました。常々、テキストと作曲者の意図を深く忠実に読み取ることの重要性を説く先生が、「僕はこうだと思うんだけど」と1カ所だけ曲想を変更されたのです。その箇所の詳細には触れませんが、私はその変更の必然性を強く認識し、感動したのです。演奏する機会があればあの箇所だけはこうしたい、以来ずっと私の脳裏に焼き付いていました。今回、「島よ」を指揮することとなり、私は躊躇することなくその曲想の変更をメンバーに指示しました。 私が関学グリーの学生指揮者になってから北村先生とのつながりはより親密となり、先生のお兄さんが旧制北野中学出身(59期)だったこともあって、私が北野高校卒であることもよくご存じでした。今から3年前、59期生有志の依頼により男声4部合唱版「北野高校(中学)校歌」を先生が編曲されたとき、練習に付きあってあげてほしい、と私が頼まれたのです。喜びをもってお引き受けしました。私が先生から教わったのは音楽を通じた人との繋がり、愛情そのものです。 北村先生はこの3月他界されました。亡くなる2週間前、関西学院グリークラブリサイタルのOB・現役合同ステージを車いすに座って指揮され、これが最後のステージとなりました。肺がんでしたが、振れなくなるから、と最後は治療を自ら放棄され臨まれたのです。私もその最後のステージに乗りました。本番当日の楽屋で点滴を受けながら休まれている先生とわずか2分ほどでしたが1対1で話すことができました。終始にこやかに話されていたことが印象的で、愛情あふれる指導を彷彿させる2分間でした。私が男声版「北野高校校歌」の練習・指導を引き受けたことも大変喜ばれていました。ちょうど今回の北野高校コーラス部フェスティバルの選曲中でしたが、あの「島よ」の箇所が頭に浮かんできて、「島よ」を振りたい、と思ったのです。 5回目を数える北野高校コーラス部フェスティバル、私は第1回から指揮者のひとりとしてずっと関わってきました。歌うこと、音楽することに何より大事なのは愛情と信じます。そこから仲間を信じること、課題の克服への力が湧いてきます。今回も愛情に満ちた仲間と音楽できる喜びを疑わず指揮を引き受けました。その意味で今までに一度もこの合唱団に裏切られたことはありません。だから、私はこの合唱団が好きです。 |