六稜トークリレー【第33回】 「爺の遺言〜戦争に捧げたボクらの青春」 三砂栄次さん@48期+津田禎三さん@51-53期 reporter:辻村善生(90期) 一生に一度しかない学童・青年期に、軍事教練・学徒出陣そして戦場へ行かれたお二方の大先輩から、戦場での真実を身の引き締まる思いで拝聴させて頂きました。誰も止めることが出来なかった“戦争”という昭和の激動期。戦争に捧げた青春……そして悔いはなかったと……。 津田禎三大先輩は、雨降る神宮外苑での学徒出陣壮行会を経て、大竹海兵団入隊。その後、海軍少尉として四十数名の戦友と供に戦場に向かう途中、飛行艇が台湾・東港の海洋に墜落、機体が真二つに大破する中、空中に投げ出され決死のダイビング。生暖かい海中に沈んで行く機体にとり残された戦友を救出できなかった窓越しの涙の別れ……。全速力で、ピッチングとローリングを繰り返す駆逐艦“梅”での船酔いとの戦い、吐いては飲み、飲んでは吐き、堪えきれず軍帽に血の混じったこの嘔吐物を……なんと、後でこっそりと食べ、飲み込んだなど……任務を遂行する軍人の厳しい規律。そして、友軍護衛機のはずが、まさかの敵機であり、攻撃を受けようとは……。多くの戦友が亡くなられた。送る親・子供の旗を振る表情……誰もが祖国日本の為にと奮い立ったのではないかと。そして、この戦争から負傷を負いながらも生還出来たのは、召集令状を前に、左脳では、“死”を理解したが、右脳では“死”を決してイメージ出来なかった事であると。 三砂栄次大先輩は、上官に志願先を強制されるも屈せず、新京経理学校入隊後、陸軍主計少尉として奉天捕虜収容所に勤務され、前任者が自決したほどの厳しい環境のもと敵兵を国際法に基づき管理したこと。欧米では捕虜とは最後まで戦い抜いた英雄であると崇められるのに……。そして、終戦を迎え祖国日本へ帰れるはずが、まさかのソ連による抑留生活。想像もつかない極寒の中、強制労働を強いられたこと。最初に5年間とわかっていたら絶望でとても生きては帰れなかっただろうと。来年は帰れると希望を持ちながらの1年そして又1年。シベリア鉄道で右にバイカル湖が見えれば奥地へ、左に見えればひょっとして日本へ帰れるのではと。捕虜を管理する側から抑留される側へ、振り返ってみれば、ソ連の軍服を着せてもらい観に行ったサーカスなど……人間としての友情は敵味方なく不思議な形で存在したと。 全てのお話が映像を見るが如く、臨場感溢れるものでした。仏陀の言葉の中に、「戦場で百万人の人々に勝つよりも、一人の自分に勝つ者こそ、最上の勝利者であると。」という一節があります。戦争とは敵を倒し、時として味方にも特攻命令など死を与え、最後には年寄り・女・子供など何の罪もない一般民衆が犠牲になる。戦争とは、もう二度とあってはならない。勃発させてはならない……と、自分自身に言い聞かせ、戦争を知らない人間ですが、微力ながら本日のトークを後世に伝えていかなければならないと思います。戦争のない平和な世界の為に。戦没者に黙祷を捧げつつ。 |