六稜トークリレー【第29回】 「手塚治虫は六陵人!?〜無視できない手塚治虫史のウソ」岩倉哲也さん reporter:田浦紀子(手塚治虫ファンクラブ会員) |
4月15日、手塚先生の母校・北野高校でおこなわれた岩倉哲也先生の講演「手塚治虫は六陵人!?無視できない手塚治虫史のウソ」に参加して参りました。北野高校を訪れるのは昨年の岡原進さんの講演以来一年ぶり。手塚関連の講演会は今年で3回目ですが、毎年きっちり開催されているのは、やはり北野高校ならではでしょう。私がこの講演会の懇親会に参加するとまず聞かれるのが「何期ですか?」これは、本当に六稜同窓会ならではのファミリー意識の高さであり、それが伝統なんだろうな〜と思います。 午後2時前。受付でレジュメを受け取り中へ。席につき、客席をみわたすと、なんと緑色のベレー帽をかぶった岡原進さんの姿が…。まさか今日お会いできるとは思わなかったので嬉しかったです。 手塚治虫史に間違いや誤解が多い理由のひとつは、手塚先生の話にはリップサービスが多いこと。手塚先生は相手を喜ばせるために話をおもしろおかしく語ります。そのフィクションの積み重ねがいわゆる「手塚伝説」を形成している事実は否めません。有名なところでは「本当はいじめられっ子ではなかった」があげられます。また、その目的は不明ですが「生前年齢を2歳偽っていた」というのもあります。 もうひとつは、その作品の膨大さゆえに検証がなかなか追いつかないこと。つまり一冊の研究書の中の小さなミスが検証されないまま、定説にすらなってしまう可能性があるわけです。その例として今回取り上げられたのが『ブラック・ジャック』の開始時期について。『ブラック・ジャック』のスタートは手塚史では1973年11月号になっています。この時期はちょうど虫プロの倒産期と重なります。手塚先生はそのどん底の中から這い上がって不死鳥のごとく復活していったというのが定説。ところが実は雑誌の発行は標記の月よりひと月早いのです。だから実際に『ブラック・ジャック』が始まったのは10月19日。決してどん底の時期に始まったのが『ブラック・ジャック』ではないし、手塚先生自身が「これが最後の作品」とは思っていなかっただろうと…。ちなみに連載開始の10日前の10月9日、手塚先生は北野高校創立百周年記念講演に出席されています。 岩倉先生はこうもおっしゃっていました。「私が子供の頃はいつか手塚漫画を全部読めると思っていました。ところが全部読むことがなんと難しいことか」そう!手塚漫画は本当に全部読むことが難しいのです。これはファンの皆さん、手塚漫画を読めば読むほど感じることでしょうね。そして、そのあくなき追及が今も生き続けている手塚漫画の魅力なんだろうな、と思った講演だったのでした。 |