小春日和の晩秋の好天気に恵まれた平成11月26日午後、今年卒業60周年の節目を元気に迎えた私達58期の旧友26名がユニークな設計の六稜会館の1Fのサロンに集合しました。早速、西側壁面に故水鳥先生寄贈の掛時計に並んで設置された「級友村川一正君勤労動員殉難の銘板」に美しい供花とともに各自冥福を祈りました。六稜会館が存在する限り私達の思いが永く残るこの銘板の作成にあたり、献身的に貢献された橋本君をはじめ、以前からこの企画に熱心に提案されていた故小田一豊君、井上致明君、銘板設置許可に関し学校/六稜同窓会に対し推進協力して頂いた岡田同窓会事務局長及び趣旨に賛同寄金協力賜りました皆様方に厚く御礼申し上げます。
その後、地下の六稜ギャラリー、3階の大ホール、新校舎の多目的ホールで歴代校長と写真対面し、ついで昭和20年6月米軍戦闘機による機銃掃射弾痕跡がそのまま保存されて校舎壁面下の被爆62期生の「殉難の碑」の前で合掌冥福を祈り、急いで学校前で数台のタクシーに分乗し、総会場の東洋ホテルに向かいました。
午後五時から、50名の出席者による「六稜58期卒業60周年記念同窓会」が2F「桜の間」で、芝居役者演技に益々円熟の奥田君の手慣れた司会で開会し、藤村代表幹事の挨拶、物故者(121名)慰霊黙祷、東京58期代表森田君の挨拶、尼崎幹事による六稜同窓会報告、奥田君より会計報告及び次期代表幹事/幹事全員留任の提案に対し、満場一致で可決されました。
午後5時半から、お待ち兼ねの級友森毅先生の卓話が始まりました。軟弱な協調性のない不良仲間にも入れないドジな分散型の生徒であったが、北野で世渡り術を覚えたことや、森ユーレーの仇名の由来にいつもの如く軽妙に瓢瓢と話が進み、最後に人生は、20区切りで来年数え年で80歳を迎える私達も第5の人生を考える時、世の中入り混じっているので分散型にとって良い時代である。従って世の中のことを余り気にせず気楽に楽しくやって行けばよいとの結論で約束通り丁度30分で終わりました。
お待たせの祝宴が例年のごとく清木幹事の乾杯の音頭で始まり持ち込みの銘酒、焼酎と5人の美人コンパニオンのサービスで談論風醗、和気あいあい賑やかに時の経つのも忘れるぐらいの大盛会でした。最後に全員校歌斉唱し、集合写真撮影後8時30分来年の快老の友の集いに元気に再会を期して解散しました。尚、長年のパーキンソン病にもかかわらず車椅子に2人のヘルパーの介護で六稜会館/東洋ホテルに参加された河野泰通君の熱い心情に敬服するとともに更なるご自愛を祈念いたします。
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