六稜トークリレー【第25回】 「ウナギをつくる〜完全養殖への挑戦」 田中秀樹(88期)さん reporter:定藤規弘(88期) | |
【プロローグ】
講師の田中秀樹君は88期の同期、海外出張前のお忙しいところ、すばらしい講演をしていただきました。田中君は、独立行政法人水産総合研究センター養殖研究所にお勤めで、世紀の大問題であるうなぎの完全養殖研究に取り組んでこられました。 【うなぎの一生】 うなぎは、どこで生まれてどこに行くのか? これは歴史的な大問題で、古くはアリストテレスが「地中から湧いてくる」といい、シーボルトは死ぬ前「重要な問題はすべてとかれた。残っているのはうなぎの来歴だ」という言葉を残しているくらいだそうです。これまでのところ、マリアナ海溝付近の海山(富士山のような形をした海中の山)のあたりで産卵、北太平洋海流から黒潮にのって台湾、中国沿岸、日本や朝鮮半島沿岸へ達する。淡水で育ったあと 海に戻ると、海嶺ぞいに海山へ行くらしいと推測されています。海洋調査は1960年代ころから続いているが、天然の卵は見つかっておらず、産卵も目撃されたことなし。わずかな塩分濃度の違いで、道筋を感知するらしい。エルニーニョの年には雨が多く、そのため塩分濃度の違いによるマーカーが南にずれるために、うなぎたちは、フィリピンのほうへ行ってしまい、日本には少なくなる、とか、産卵場所からの距離のため、台湾ウナギは若く、韓国沿岸に到着するウナギはやや年寄りであることが、耳石にできる「年輪」で計測できる、など うなぎの最新知見が満載でした。 【うなぎ養殖の歴史】 転じて、うなぎ養殖の歴史に触れられました。卵(1)→シラス(2)→クロゴ(3)→…→かばやきのなかで、(3)、(2)、(1)の順で研究と実践が進んできた、ということでした。普通にいわれるうなぎの養殖は、シラスウナギから大きくするというABをさします。最近の蒲焼の産地についても話はおよび、最近輸入量の多い中国からの養殖ものはヨーロッパウナギであることにも触れられました。うなぎはもともと東南アジアの産ですので、日本では、暖かくして高密度飼育をしているのです。ヨーロッパウナギは寒冷を好み、日本での養殖はうまくいかなかった。中国では、寒冷状況をつくることができて成功したとのことです。 【完全養殖】 さて本題は、卵(1)→シラス(2)→クロゴ(3)→…→かばやきのうち、(1)をどう解決するか、卵からシラスウナギまでの飼育の問題でした。人工孵化は1973年に成功し、オスにはHCG (ヒト胎盤由来性腺刺激ホルモン)、メスには鮭の脳下垂体を使うという手法も確立しているそうです。ところが、卵の栄養分が尽きる孵化後14日で餓死してしまう。消化管は既に存在しているので、食べ物さえわかれば育てられるのだが、何を食べるのかわからず、試行錯誤が続きます。苦闘の結果、「育つ食べ物」の作成に成功して、卵からシラスに育つところまでを詳細に観察されていました。生えていた歯がだんだん退化していくとか、はじめは透明、後で血が着色することにより色づいてくるとか、顔つきで発育状況を追跡するなど、愛情を持って育てておられることが良くわかりました。今後の目標は、卵から育てたウナギからさらに卵をとって、受精卵を育てること。これが完成すると、かつては1匹1000万円かかったうなぎの完全養殖が実用的になるそうです。 【エピローグ】 2003年に、完全養殖成功の公式発表をされたあと、宮内庁から連絡があって、「いちどお手すきのときに、説明にきてくれませんか」とのご案内があったそうです。「時間が出来たら行きます」と答えたところ、周りの方が驚き、急遽上京。実は、陛下にご説明とのことで、研究を始めた初代の先生と一緒に皇居へ参内され、その時の記念写真を披露いただきました。同期のものはてっきりご進講とばかり思っていましたが、これを「お茶」と称するそうで、ご下賜のお菓子のスライドとともに、「陛下とお茶」してきました、としめていただきました。 【感想】 物静かな口調で、ぽろっと面白いことをいうスタイルは高校時代から変わりませんでした。田中君、これからも静かな情熱を燃やして、良い仕事をなさってください。どうもありがとうございました。 | |