六稜ト−クリレ−【第22回】 「ほむら野に立つ〜私を救った北野生」広実輝子さん
reporter:山口 敏(64期) | ||
というのも、私の心の中には今もなお湯本忠三先輩にまつわる思い出があるのです。 小生が小学校6年生の時、軍隊帰りの先生で湯本忠三さんの兄さん(湯本幸二さん、六稜51期)がおられ、担任は持っておられませんでした。小生が北野を志望するというと、大変力付けて下さり、先生が宿直の時などは一緒に泊めていただき芋やら野菜類など手当たりしだい鍋に投げ込んで煮立てた雑炊をご馳走して頂き、誰もいないので大音響でクラシック音楽を聞かせてもらい、是非北野に合格するよう励まされました。勉強は教えていただきませんでしたが、本当に大好きで尊敬する先生でした。北野の入試発表の時先生は将校マントを羽織って見に来てくださいました。合格を知ると大変喜んでくださり、三省堂のコンサイス英和辞典をお祝いに下さって「これは北野を卒業した弟の使っていたものだ」と言われました。裏表紙裏には「北野中学 湯本忠三」と持ち主の名が書いてありました。 北野にはどうしてこんな素晴らしい人が育つのでしょうか。育ちがいいのか、北野の伝統なのか。負傷した生徒を田中さんのお家で食糧難の時にもかかわらず介抱したお母さんのお話がありましたが、これは思いあたります、小生たちの時代でも友達のうちに遊びに行くと友達のお母さんは遊びに行った我々を自分の子のように可愛がつてくださった記憶が何度か有ります。小生の母もそのようでした。きっとお母さんたちも北野の生徒が好きでたまらなかったのでしょう。我々は本当に恵まれた環境にはぐくまれ幸せものですが、小生は恵みに十分応えられないままいい加減な人間に馬齢を重ね恥じ入るばかりです。 |