六稜ト−クリレ−【第22回】
「ほむら野に立つ〜私を救った北野生」広実輝子さん
reporter:則松照也(58期)
昭和20年6月には、58期生は59期生(短縮繰り上げ)と一緒に北野中学を卒業していたにも関わらず動員令の延長で、在学中と同じ軍需工場(石産精工ほか)へ引き続き行っていたということです。当時、同期生の中には、すでに上級学校や軍関係の学校などに進んだ者もあり、私も軍務に服しており、所は違っても、同じように命をかけた使命に携わっていました。したがって、6月の空襲による石産精工での惨状をこのように多数の関係者から伺ったのははじめての事で、たいへん衝撃をうけました。
勿論、同じ石産精工に豊中高女生も勤労動員で来て働いていたこと、その豊中高女生の一人だった広実さんが米軍機の機銃掃射によって重傷を負われ、瀕死の状態の時に、自分の命も顧みず必死の救助活動をしてくれて名も告げずに立ち去った中学生がいたこと、それが図らずも北野58期の湯本忠三君だったことなど知る由もありませんでした。広実さんも後年ようやくその中学生が湯本くんであることをを探し当てられてお礼を言われたそうですが、こんな素晴らしい級友がいたことを同期生としてたいへん誇りに思います。
広実さんのお話には、真実を語る迫力があり、当時の空襲の惨たらしさを目の当たりに見るようで、淡々とした語り口の中に万感の思いがこめられているようで、感動で涙がとまりませんでした。
58期生も、重傷を負った橋本君はじめ動員に行った級友たちが、次々に当時の惨状を語り、戦時中の苦労がこの催しのお蔭で、ようやく陽の目を見て、報われた思いがしたのではないでしょうか。
ただ、講演の終わりのほうで、58期の伊藤君が心臓発作で倒れるというハプニングもありましたが、参会者のみなさんは終始真剣に聞き入ってくれていました。伊藤君も石産組の一人だったので、不自由な体をおしてわざわざ東大阪から駆けつけてくれたのに気の毒なことでした。幸い会場のみなさんの素早い対応で無事治まったようで、よかったです。とりわけ、スタッフのみなさんの優しさが身にしみて感じられて嬉しかったです。また伊藤君に最後まで付き添ってくれた同期の上小沢君にも感謝申し上げたいと思います。
それにしても、戦争中の北中生と豊中高女生との60年ぶりの邂逅などということは、私達の生涯には、もう二度とないことです。このことは、いつまでも大切にしていきたいと考えています。
|