六稜ト−クリレ−【第22回】
「ほむら野に立つ〜私を救った北野生」広実輝子さん
reporter:正木博子(67期)
講演者の広実先生が最初に言われた通り、この講演会に若い人の姿が見えなかった事を非常に残念に思った。戦争を語り継ぐのは、その時代を生き抜いて来た人達の思い出話に終わらせてはならない。朝日新聞の声の欄で戦争の語り部が大声で慟哭したり絶句したりするのを白々しい想いで聞いたという若い人の意見を読んだ事がある。
これだけの重い話を胸中はともあれ、あれだけ淡々とユーモアを交えて語られる先生に私は敬意の念を新たにした。私達は、中学2〜3年の時、先生に国語と習字でお世話になった。
左手の、真夏でも巻かれている真っ白い包帯はなんとなく威厳があり、美しくさえあった。包帯の意味は表立っては噂になる事はなかったが、他の新任の先生方の手に負えないような腕白坊主でさえ、広実先生には一目おいていたようであった。決して厳しい先生ではなかったが、あの穏やかさと優しさから、これだけの修羅場を乗り越えて来た人とは想像も出来ない。いえ、そうだからこそ出来て来た人間性なのかも知れない。
30年前、なんとなく想像していた先生の青春時代が『ほむら野に立つ』で公になり、同じ時代に女学校時代を過ごした姉達をいたく感動させたものであった。
大切にしていた本は、娘の小学校時代、「何か戦争に関係あるものを持って行く」という宿題に持たせたところ、校長先生が全職員に読ませたい、というのでお貸ししたが、PTAの役員にも、という事になり、とうとう二度と手元に返って来ることはなかった。
ほとんど半世紀振りに訪れた母校は、プール周辺と体育館を除いて様変わりしていたが、ミードの森は昔のままの緑を茂らせ、戦争は遠い昔の夢のようであった。
「ほむら野」は桜塚高校の生徒達の手で戯曲化され、上演されたことがあったが、副読本『大阪の文学』を通じ、同じ世代を生きる人達に、ティッシュ1枚ままならない時代を生き抜いた日本の少年少女がいた事をもっともっと知って貰いたいものだと言う思いである。
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