六稜ト−クリレ−【第22回】 「ほむら野に立つ〜私を救った北野生」 広実輝子さん 静止した黄金のひととき reporter:三島佑一(60期) 広実輝子さんが北野のトークリレーで話されるというので久し振り、ぜひ拝聴にと思って暑中見舞を出した。「知った人が来られると話にくいですが」ときれいな上品な達筆が返って来た。 | |
広実さんとは「火中に立ちてとひし君はも」が豊中高女学徒動員記録の会の文集『ほむら野に立つ』に収められて本になる前頃知ったと思う。大阪の戦跡めぐりの企画があって、長柄橋の橋脚に機銃掃射を受けた跡を見て、淀川の堤を歩いたことを憶えている。堤防から降りて来られるのを手を差し伸べようとして、一寸畏れ多くてようしなかった。何と冷たいと思われたのではないかと後まで思った。 書かれたものを読み、現に左手首に包帯を巻いておられるのを目の当たりして、生々しい感動を受けた。その時も直接当時の模様を聞いた。しかし、今度まとまった時間で、ご自身描かれた絵をもとに話されると、何倍もの実感が伝わって来た。大変な当時の様子が瞼に浮かんだ。一人倒れていた所へ幻のようにおじいさんが現れ、そこへ北中生が来て助かった。 刀根山病院……真っ暗、両親が来られ、お母さんが手首切断を猛反対され、阪大病院に運ばれ運よく切断されなくてすんだと。ずいぶん長い時間、よくまぁ激痛に耐えられたもの、そんなにろくに処置されず生き長らえるものかと改めて驚いた。 当時、生死を共にした同級生の方々の話も感動した。最近知った58期の橋本 修さんも上半身大火傷を負われたことも初めて知った。そんな素振りもなく元気にされているので、これ又大きい驚きであった。以来、豊中高女、北野合同の戦友?会が開かれているとか。 広実さんは、平成に入って何の用だったか忘れたが、お宅の広実病院をお訪ねしたことがあった。美しい銀髪になられて、こんな年のとり方をしたいものと思っていたが、今度もその時とお変わりなく、淡々と話される姿にすごく説得力があって、空気が張りつめた。 広実さんの、「火中に立ちてとひし君はも」は、教科書に載ったと紹介されたが、日本ペンクラブ編・田辺聖子さん選の『ロマンチックはお好き?』(集英社文庫・1981)の中にも収載されている。川端康成、宇野千代、与謝野晶子、小松左京、黒岩重吾、竹久夢二、原田康子、森茉莉、錚錚たる作家二十人の中にである。 九死に一生……特に広実さんの場合は、危うく左手首を落とされるところを助かった貴重な体験談。雑然と過ぎる人生の時間の中でも、黄金のような静止したひとときであった。 いつか「野」という小さな文集に何か書いてほしいと依頼され、私は同じ「野」と題して罹災後、近江八幡に疎開し、安土を越えて能登川の干拓に自転車で通った蒲生野のことを書いた。のち戦争体験歌文集『山河共に涙す』に載せた。そんな勤労動員の当時も思い出されたひとときであった。 |