六稜ト−クリレ−【第22回】 「ほむら野に立つ〜私を救った北野生」広実輝子さん
reporter:井上敏子 reporter:木村菊恵 広実さんのお話の中にも出ていましたが、「グリコ」の工場で焼夷弾が胸を貫通して亡くなられた同窓生・矢延照代さんのことをよく思い出します。『ほむら野に立つ』にご両親の手記も詳しく出ていますが、お葬式の事を私ははっきりと憶えています。葬儀当日、豊中・岡町の私達には連絡があり、参列致しました。 豊中高女の裏の方に教室からよく見える処に、火葬場がありました。何と言っても現在とは比べられない規模の小さい、荼毘に付すにも時間がかかりました。まして空襲の犠牲者も多数おられ、火葬場の外へ柩を並べて帰らねばなりません。日盛りの道端に…。 ご両親が振り返り振り返りしながら帰途につかれた様子が六十年を経た今もはっきりと見えて来ます。現在の私達の生活の中で、肉親との最後をこの様な別れは考えられません。 殊に、子を育て孫を慈しんでいる自分自身を思うと考えるだに胸がつまる思いがします。どうか、この様な悲しい日の再来がありませんように、とひたすら念じております。 reporter:和気恭子 この度は、六稜会館での広実輝子さんのトーク「ほむら野に立つ…私を救った北野生」に参加させて頂き、有難うございました。 広実さんは、もの静かで気取りなく、説得力があり、それでいて大阪人らしい語りに当時を思い出し、大感激、涙致しました。 良い講演会でしたね。あれから六十年の年月が経っていますのに、つい昨日の事の様に胸の痛い想いです。あの時、どうして彼女を助けず、自分さえよければ…と、逃れた事が未だに恥ずかしく申訳なく思っています。 でも辛く悲しい想い出ばかりではなく、同じ工場で共に国のために勤労奉仕した北中の方々(58期生)との細く長い交流は私達の何よりの宝でございます。会えば遠慮なく戦友として甘く切ないレモンの味を感じつつお付き合い致し、嬉しい事でございます。 当日、殊の外お世話頂いた方々に対し、感謝し深く御礼申し上げます。 | |
ほむら野に散りし友たち |