六稜NEWS-050409
    六稜ト−クリレ−【第18回】
    「アニメと写真で語る手塚作品
    『ある街角の物語』に秘められたもの」
    岡原進(59期)さん

    reporter:高橋英雄(100期)


    快晴、桜が満開の中、大先輩の岡原進さんのトークリレーに千葉から伺いました。岡原さんと知り合ったのはちょうど二年前。手塚治虫さん関連の講演会場で、僕の前の座席におられ、たまたまお話すると北野の先輩で、しかも手塚さんと同期、手塚さんの写真も撮られているカメラマンということでびっくりしました。

    今回のトークリレーは、アニメ「ある街角の物語」の上映を挟んで前後に岡原さんのお話という三部構成でした。

     
    岡原さんは北野ではクラスは違うものの美術部で一緒になり、暗い絵が主流だった時代に二人だけ明るい絵を描いて先生によく怒られたそうです。しかし第二次世界大戦と重なった時期で、絵を描くどころか勤労に駆り出されたり、卒業も繰り上げになったりという、戦争の影響をもろに受けたのがよく分かりました。今もある50メートルプール造りにも59期が動員され、これは重労働の苦い思い出だそうです(笑)。

    岡原さんがカメラマンになられて手塚さんと再会したのは17年振り。背も高くなって北野時代とは印象が変わったのに驚かれたと言います。
     
    その翌年1962年に虫プロを訪問した時に岡原さんが見たのが、今回上映の「ある街角の物語」の製作現場でした。ある街が徐々に軍靴に脅かされていくのを描いたこの作品に登場する独裁者の顔が、陸軍少将だった岡原さんのお父上に似ていると手塚さんに言うと、「あぁ、閣下」とよく覚えていてお二人で笑い合ったそうです。

    二回の虫プロ訪問からしばらく後、1979年にも岡原さんは手塚さんの写真を撮られています。41期の黒田了一さんの大阪府知事選の応援風景です。岡原さんは、北野の先輩というだけでなく、革新府政だからこその応援だったのではないかと話されました。そして、手塚さんが生前、紫綬褒章の辞退のため自ら文部省に足を運んだエピソードも紹介されました。

    今回のアニメ「ある街角の物語」もそうですが、こうした姿勢は手塚さんの首尾一貫したものだと、岡原さんと同じく僕も思いました。そして今回のお話で、その原点が北野時代だったような気もしています。

    岡原さんのざっくばらんな語り口は満席の会場を大いに沸かし、時の経つのも忘れる楽しいトークレーでした。

    講師を囲んで手塚ファンの皆さんと

    Last Update: Apr.17,2005