六稜ト−クリレ−【第18回】 「アニメと写真で語る手塚作品 『ある街角の物語』に秘められたもの」 岡原進(59期)さん
reporter:田浦紀子 カメラマンの岡原進さんは北野中学時代、手塚先生とは美術部で一緒だったために仲が良かったそうです。当時、暗い絵が主流だったのに対し、お二人は明るい絵ばかり描いて、よく注意されたとか。しかし次第に戦況が悪化し、絵を描くどころではなくなってきたようです。手塚先生は身体が弱かったために仁川の軍事修練所へ。仁川の修練所といえば、腕に水虫が出来て切断寸前までいった…という悪名高いエピソードが有名。手塚先生はエッセイ等で、鉄条網で囲まれ、栄養失調にまでなった酷い訓練所のように書かれていますが、岡原さん曰く「そんなアウシュビッツみたいなとこじゃなかった」そうです(笑)。手塚先生は夜中に皆の寝姿をささっと描き、「ラグビートライ型」とか「野球セーフ型」などタイトルを付けて貼り出したそうです。これが運悪く舎監に見つかり、怒られる…と思いきや、「手塚、こんなん描いてるから寝られへんのやないか」と笑われたとか。 『ある街角の物語』ですが、改めて見るととてもいい作品ですね。テレビがモノクロだった時代にフルカラーで、ここまで綺麗な色合いのアニメ表現が出来たことは素晴らしいと思いました。そして、随所に手塚先生のアニメーションへのこだわりと手塚的ペシミズムを感じました。最後に1枚だけ独裁者のポスターが残っているのはどういう意味なのか?しかし、残念ながらこれを見ながら手塚先生とこの作品について語り合うことは無かったと言います。 『教育大阪』の取材の折、話の中で手塚先生はこう言われたそうです。「耕されていない荒地を歩くのが好き」と。戦後ストーリーマンガとアニメの先駆者として常に第一線を走ってこられた手塚先生のスピリットを強く感じさせられる一言でしょう。 |