大阪松竹座:3月3日(木)〜28日(月)
「夫婦善哉」観劇レポート
reporter:楠本利郎(64期) | ||
たまたま最近の週刊新潮に連載されている久世光彦氏のコラム「大遺言書」に新橋演舞場で演じられている「夫婦善哉」が取り上げられていて、その文中に当時流行語となった「おばはん、頼りにしてまっせ」「生きてまっせ、生きてまっせ」の柳吉のセリフが原作には無く、森繁さんのアドリブによるセリフであったということが記されていた。その後、数多く演じられてきた「夫婦善哉」の中のこのセリフは、森繁さん以降のものであったということに驚いた。 どちらかといえば盛り上がりの無い淡々とした語り調の原作かと思うが、その中身は、昭和という遠い昔の時代背景と、厭なくらい大人の男女間の機微と切なさが描かれているからこそ永年に亘って幾度も上演されてきたものと思う。 同時に、この芝居に携わる多くの人々の作品への愛情が、観る人々を魅了させるからであろう。事実、今回のパンフレツトの序章の中で、土井さんは「大阪の片隅でお互いが心をかよわせ意地を通し知恵を働かせて健気に生きたおかしな夫婦を、この目で愛しく思いつめたいとワクワクしている。絶妙の取り合わせの男女であるからこそ二人が影響し合って醸し出す夫婦の味は、面白くて可愛く切ないのだ」と述べておられる。 今の道頓堀界隈は、当然のことながら昭和の戦前の面影どころか、つい4〜5年前の姿すらも消えてしまっている。西に歌舞伎座が在るとはいえ、松竹座の東にあった劇場の多くは跡形も無く、そこからは、当然のことではあるが鐘や太鼓のお囃子も聞こえてはこない、その様変わりした平成という時代のなかで、タイムスリップして、ぐうたらな男としっかり者の女の芝居を満喫しながら劇場の外へ踏み出た途端のアンバランスに戸惑いを感じる。 連休明けの平日で当然のごとく、おばはん達でほぼ満席である。藤山、沢田の息のあった名コンビ、芸達者な助演者達の熱演に、客席を埋め尽くした「なにわの、おばはん」達は理屈抜きで大口をあけて笑い続けた。芝居をしているご本人の二人がアドリブの演技にふきだしている。それを見る客席からも笑いの波が起きる。勿論僕もそのなかの一人である。 助演者も笑わせたが原作にはない柳吉の友人役の笹野高史が秀逸だった。 芝居から原作者・脚本家・演出家の意図するものを吸収しようという面倒くさい大それたことよりも、とにかく面白く楽しく芝居見物をしようという目的は充分達せられていた。 森繁さんのアドリブというセリフの、蝶子の自殺未遂の時の「生きてまっせ」こそ無かったが、幕切れの花道で「おばはん、頼りにしてまっせ」のセリフは生かされ場内が暗転して緞帳が降りた。 北野でのトークリレーで、たしか土井さんは「私の意とする終わりの筋書きでは演出家たちが幕を降ろせないと言われて残念だった」と仰っていたように記憶しているが、この場面の事ではないのだろうかと思った。僕の記憶違いでなければ、映画の終わりの場面でのセリフではなかった様に思うのだが…。 早々に亡くなられた夫君への土井さんの熱き思いが、舞台に満ち溢れつつ緞帳は華やかに降りた。客席は大きな拍手に包まれて明るくなっていった。大向こうから「オマツ!ようやった!」と連呼する掛け声が聞こえるようであった。 土井さんとは、一昨年発刊された著作本『舞い舞い虫独り奇術』、昨年の母校でのトークリレー、そして今回単独での脚本の観劇と、年老いてから接点が続いた。好い席をご用意頂いた上、わざわざお越し下さってのご挨拶には恐縮の限りであった。 大変ではあるだろうが華やかなスポットライトの輪のなかで今も尚、活躍しておられるオマツを羨ましく思った、これからも精進されて、より以上に輝き続けてほしいと心から願いつつ劇場を後にした。 |