六稜NEWS-041106
六稜ト−クリレ−【第14回】
「建築的瞬間〜球体建築の系譜」
竹山 聖(85期)さん
reporter:小林英津子(85期)
小学校低学年頃、母の読む月刊雑誌に「東京A邸」「横浜B邸」といった個人の家の見取り図(平面図?設計図?どういうのが正しい?)が掲載されていて「家の中はこんな風に表現できるんだ!」と思った驚きが思い出される。それ以後小学校を卒業する頃まで自己流で自宅、友人やテレビに出てくる家の見取り図をよく描いて遊んだ。だから個人の家、店舗、大きな建物をクライアントとの要求に応え設計図を引き建物を作り上げることが建築と考えていた。
先日、テレビ番組で日本銀行東京本店の旧館を紹介していた。辰野金吾設計の旧館はシンメトリーの建物で中央にはドーム型の屋根がありそのドームの下には意表をつく八角形のホールがあった。それを見ながらこの建物が新築された時を知る人など誰一人いない時代にまで自分の作り上げた建物を残せるなんて建築家とは幸せな職業だと軽い嫉妬を感じた。この二つの素人感覚を持ってトークリレーに出席した私は話を聞きながら、今まで自分の考えていた建築、建築家とはいったい何だったのか、どこが違うのかわからなくなってしまった。
「一本の線を引くことで何人かの人がそれに携わることになる」と竹山君が言った時、設計する人は一本の線にそこまで考えているのかと、ハッとした。その思いがあるから、一般人には理解の難しい、哲学的な話が展開されるのだろうか?建築というものは単に何かを作り上げればいいというものではなく、何かを求め続けてたどり着くもので、そのため古代からたくさんの建築家が多分野からの知識も集め、多種多様の建築の観念をつくってきたのだろう。うまく表現できないが時代ごとにいろんな思想を絡め、新しい技術を使いながら建築家がそれを消化して建物を作っていく。化学の分野ではAとBを反応させてCを作る。そういう現実の表面的なものではない、出来上がるまでの深さを感じたように思う。目の前にある建物だけが建築家の表現したいものではない。そこにたどり着くまでに何があり、何が込められているかを考える、それが今までの私にはなかった建築に対する変化になった。
建物を見る眼がトークリレーの前後で変わった気がする。六稜会館の球体のデザインを初めて見た時は「?」状態であった。でも今は立地条件、予算等の困難な条件下、ご苦労様でした、と言いたい。私なりの理解度は設計者の合格点はもらえないかもしれないが。
北野の旧校舎、いまはその姿はない。しかしそこで学んだ卒業生の記憶に深く残る。新校舎しか知らない若い卒業生や現役生、未来の北野生がやがて年を重ねた時、どんな思いがこの校舎に浮かぶのか、聞いてみたい気がする。
Last Update: Nov.15,2004