六稜NEWS-040807

    六稜ト−クリレ−【第11回】
    映写会「戦争と北野〜昭和11年頃の学生生活」

    reporter:古川哲夫(62期)

      「戦争と北野」の映像は私どもより少し前の時代のものですが、先生方の中には記憶にあるお顔もあり、時代的背景は我々の北野時代と重なる部分も多く、懐かしくもあり、考えさせられるところもあり、複雑な思いで拝見しました。

      教練演習の場面に出てきた三八式歩兵銃や軽機関銃は、一年生のとき兵器委員を命ぜられたこともあって、手入れの時の感触まで甦りました。ライフル銃としては、他に村田式10連発、押収銃(日露戦争時の戦利品?)がありましたが、学校の兵器庫にあった銃器は全て教育銃と称して菊の御紋章の刻印が消されていました。

      当時、武器を手にして何を思ったかと記憶をたどってみましたが、格好いいな、とか、合理的に出来ているな、といったことを思っただけで、人を殺傷する道具であるとは、頭では分かっていても心では分かっていなかったように思います。

      今にして思えば歴史の流れとはいえ恐ろしい時代であり、教育とは恐ろしいものだと、つくづく感じた次第です。
      又、あの時代の北中生のシンボルであり大阪の小学生の憧れの的でもあった白脚絆(私の年代は残念ながら着用できなかったは、日清・日露の両戦役での日本陸軍の下士官、兵の軍装であり、大阪の中学校で北野だけがこれを採用していたのは学校の歴史の古さを物語るもので誇りとするべきものでしょうが、やはり軍国教育の象徴として否定すべきものなのでしょうか。あるいは、オールドボーイにとって遠い日のノシタルジアであってはいけないのでしょうか。

      何はともあれ、あのような時代が二度と来ることがないようにするためにも将来に伝えるべき貴重な資料であると思います。

      平成16年8月9日

    Last Update: Aug.18,2004