六稜NEWS-040420
北中記念碑の集い2004
reporter:河渕清子(64期)
昨夜来の雨も止み、すっきり晴れ上がった4月20日11時、済生会中津病院玄関前の「北中記念碑」の前に18代校長村田義人氏を初め卒業生34名が集合した。この記念碑は、今から19年前の1985年に母校創立112周年を記念して、当時(1902年〜1931年)校舎のあった北区芝田2丁目のこの地に有志の手で建立されたが、1999年に病院の増築工事に伴い、整備された前庭の現在の場所に移設された。石碑の下には当時の名簿や学帽など想い出の品がセラミック製のタイムカプセルに詰め込まれて埋蔵されているという。
記念碑の横で全員記念撮影後、岡田新事務局長の指揮で「北野中学校校歌」を声高らかに歌い上げて、全員は懇親会々場へ移動。
11時半頃り開演のサンル−トホテル2階「太陽の間」での懇親会は、岡田事務局長の司会のもと、先ず最長老の緒方裁吉氏(37期、緒方洪庵の曾孫)の音頭で一同乾杯後、村田義人元校長のご挨拶を皮切りに、マイクは各円卓に廻り若い期から順次自己紹介が始まった。
最後になった30期、40期代の諸先輩方のお話は、お声も若々しいのに先ず驚いたが、年輪を経た言いようのない味わいが醸し出す一言一句が身に沁みるよう。往時私たち女学生の憧れの的だった『白線一本に六稜の徽章の学帽・黒鞄姿の北中生』が、今同じ場所で会してるのも不思議な気持ちがした。
何時までもお元気で居られることを念じつつ、私たち後輩も「北野」の名を汚さぬよう頑張らなければと心に誓った。
予定時間はまたたくまに過ぎ、終りに全員輪になって手を繋ぎ、再度「北中校歌」を楽しく歌い合い、和気藹々のうちに散会。
【註】「北野中学校校歌」(作詞:土井晩翠、作曲:岡野貞一)が出来たのは比較的遅く、初めて歌われたのは大正2年11月の御大典(天皇即位礼)ということだから、本校40周年を過ぎてからである。
また、現在歌われている「北野高校校歌」の歌詞中、一番の「紅顔の子弟千有余」は「……幾百」、「日に通う北野高校」は「……北野中学」。二番の「百有余年花は薫りぬ」は「四十余年……」となっている。
ちなみに私たちが在校時には「六十余年……」と歌っていた記憶がある。学制改革により大手前より移籍を余儀なくされた私たち女生徒は、「六稜の星のしるしを“青春の額にかざし”」の一節にちょっぴり抵抗を感じながら歌っていたのも、今は懐かしい思い出である。
Last Update : May 10,2004