reporter:安井昌子(88期)
【始まりは突然やってきた】
8089政策推進委員会で、プレイベントの内容について検討していた際、「いらっしゃる皆さまに楽しんでもらえる」、さらには、「同窓会館のプレオープンにふさわしい」イベントをやりましょうということで、88期理事から「バザー」というアイデアを提案させていただきました。
当初は、各期が役割分担してという意見もありましたが、最終的には提案した88期が中心になって運営をお願いしますということでお引き受けすることにいたしました。
【バザーの華やかさは「品物」がいのち】
さて、バザーをどのようにやるにすれ、まずは、品物を集めなければなりません。そこで、同期の皆さんを中心にメールや葉書で声をかけ、出品を募ることにし、品物は8089委員の寄田さんのところに送ってもらうことにしました。
品物は、買っていただく皆さんに喜んでいただけるよう、「出品者自身が買いたいと思える物」とし、いわゆる「不要品」はお断りしました。また、「生もの」も衛生面からお断りすることとしました。
当初は、無料で提供してもらうわけだし、遠方からは郵送料もかかるため、どれほど集まるかが不安でしたが、最終的には196点+α(当日持ち込み分)も集めることができました。
提供者は、大阪近縁からはもとより、東京、米国、はてはブラジルからも送ってくださった方々、品物も本、アクセサリー、カジュアルウェア、ビデオ、時計など、ほんとにいろいろな品が寄せられました。なかには宝塚歴代スターの生写真500枚という珍しいものもありました。
たくさんの品物が集まったため、販売箇所を1カ所だけでなく、品物別にいくつかのコーナーにして販売することにし、さらに募集の間、みんなからアイデアとして出された「ドリンクコーナー」「思い出の品展示」「募金・六稜グッズ販売」もあわせてコーナーを設けることにしました。
<設置したコーナー>
○募金・年会費・六稜グッズ販売
○思い出展示(副題 100周年の頃)
○あてものコーナー「阪神・巨人・スポーツグッズ」を中心に…
○ブティック
○よろず屋
○書籍・ビデオ・CD・文具
○ドリンクスタンド
【バザーの成功は「人」が肝心】
当日のコーナーの設置や売り子さんなど、当日のお客さんも含めて総勢42名のかたが88期から協力していただけることになり、10時からコーナーの設置、品物の展示など準備にかかり、13時から販売を開始しました。当日は、小雨混じりの天候であったため、参加者数が少ないのではと懸念していました。さすがに、開始早々はなかなかお客さんがいらっしゃいませんでしたが、2時を過ぎる頃から各コーナーとも大勢の人たちがいらっしゃり、品定めをする人、もっと安くしてと値切る人(さすが関西人。しっかりしてます。)、たいへん賑わいました。
なかでも、「あてものコーナー」は、1回1000円の福袋になっており、みんなの好奇心をそそるのか、はたまた、購入後、中身を見た人たちからお得なことを聞いたのか、はやばやと30個が完売いたしました。
― あてもん屋 代表取締役から物品提供者へのお礼のことば ―
あてもん屋 を代表いたしまして、いろいろとご寄進していただきました、みなみなさまに厚く御礼申し上げます。 |
各コーナーとも、17時までにはほぼ売り切れ、一部売れ残った本は高校に寄贈いたしました。各コーナーの総売上額は、経費を除き16万2,350円となり、2次会が行われたホテルプラザオーサカにて、同窓会館建設への寄付金としていただくようお渡しいたしました。
【募金・年会費・六稜グッズ販売】
バザーの一角に設けたコーナーですが、ちょっとバザーとは趣が異なりました。
ご参加された方が、ついでに年会費の納入等も済ますことができればという、銀行出張窓口機能も兼ね備えたコーナーです。まず、六稜グッズですが、旧校舎の記念絵葉書、さらに、1万円もする額縁入り昭和校舎記タイルが売れました。
野球部の部誌は1冊だけですが、購入してくださる方がいました。また、当日だけで、年会費が4万2000円、会館への寄付が8万6000円も集まりました。これらも、すべて事務局の方へお渡ししました。
【感想「皆でやれば楽しい」】
最初は、ほんとうにうまくいくだろうかと思った「バザー」でしたが、いろいろな人に助けられ、ほんとうに多くの人が気持ちよく協力していただき、私自身も楽しみながら、バザーに参加することができました。なかでも、参加してくれた仲間たちが、終了後、みな、「楽しかった」という感想を述べてくれたことは、ほんとうに嬉しかったです。
同窓会活動というと、どうしても義務的になり、少数の人に負担がかかりがちになりますが、決して、そのようなものではなく、みなが楽しく、同窓生のつながりを強めることができることも可能だと感じました。(とは言っても、中心になって活動した川畑さんの苦労は大変なものだったと思いますが…)
これからも、日頃のまめな同期会活動をベースにして、このようなと機会に、88期としてまとまりのある協力ができればと思います。