2002年6月23日・30日(日曜日)昭和校舎の解体された瓦礫の中から校舎に貼られていたタイルを剥がす為に同窓生が集まった。
1931年(昭和6年)4月、昭和校舎は新築された。設計者は大阪府営繕課勤務の西田勇氏であった。西田氏が六稜会報14号に寄せられた「北野中学校建設当時の回想」によると、
…無味乾燥になりがちな学校建築に少しでもうるおいをとの願いから、当時の学校建築としてはあまり例のない外部を全面タイル貼りにしたことで豪華な仕上げになった。校舎階段室、内部腰部分共タイルを用い、特に玄関ホールは二階まで吹抜き、全面彫刻タイル貼り。玄関正面階段の踊場を利用して講堂に出入りする設計であるが、その階段の蹴込みには、京都五条坂の宇野焼美術タイルを使用した贅沢な仕上げである。外部タイルは大阪窯業平坂工場焼き。見本焼きが焼き上がると現地平坂に出向き、外部に並べて検査、承認して使用した。手造りならではの色むらや凹凸が、かえって味わいを深くし、建物を引き立てたように思われる…(六稜会報14号より編集して引用)
この様にしてできた昭和校舎に何人の生徒が通ったのであろうか。
昭和7年3月に終了・卒業した264名から平成14年3月に卒業した357名まで、実に31,000余名が学んだ事になる。旧校舎は第二次世界大戦中昭和20年7月のある日の午後、米軍グラマン戦闘機による機銃掃射を浴びた。その傷跡は新校舎に「弾痕の碑」として保存されている。
タイル剥がしの6月23日には二本の柱だけが残っていた。30日には跡形もなく壊されてしまっていた。同窓生は71年間の歴史を刻んだ最後のタイルを瓦礫の中から「ノミとツチ」で剥がし、タイルの裏についたセメントを落として持ちかえった。これからはそれぞれの場所でそれぞれの思い出をさらに刻み、語られていくでしょう。
なお、玄関ホールの彫刻タイルは額をつけ装飾品として同窓会で頒布しております。