六稜NEWS-020601
     
    船場大阪を語る会・第124回
    「花外楼」徳光清子さん

    Reporter:河渕清子(64期)


      60期の三島佑一さん(四天王寺国際仏教大学元教授)主宰の「船場大阪を語る会」第123回目例会は、6月1日(土)13時半より四天王寺本坊で三島さんの司会で始まった。

      今回の講師は、料亭「花外楼」【かがいろう】の大女将、徳光清子さん。徳光清子さんは、昭和14年大手前高女卒後、大阪府立女専英文科卒、教師経験もお有りという才媛の元4代目女将さんである。

      (註)「花外楼」
       明治8年大久保利通・木戸孝允・板垣退助・井上馨・伊藤博文の5人による立憲政体へ向けての大阪会議が、北浜にある「花外楼」で開かれた。当時の屋号は「加賀伊」と云ったが、会議の成功を喜んだ木戸孝允が「花外楼」の名を贈ったという。

      今回はこの会の常連出席者に、大手前高女OG、六稜OB・OG生の顔も加わり大広間も一杯で廊下にはみ出るほどの盛況振りだった。

       
      【徳光さん講演要旨】
      天保創業以来「花外楼」と命名されて今年で126年目になる。昔から船場は町人の町、地味な所で贅沢を戒め質素を旨とした生活だった。お客さまに喜んで頂けるように献身的に勤めるというのが、祖母の時代からの花外楼の方針であり、日本料理では、旬の美味しいものを無駄なく使って如何においしく味わって頂くかをモット−としている。一方、祖母は当時では珍しく女子にも教育必要主義者で、ハイカラ好みでもあった。だからメニュ−にも、昔からロ−ストビ−フ、サンドイッチなどもあった。あのシャリアピン(往年の世界的バリトン歌手)来日の折にも、玉葱を添えた独特のステ−キを供じたところ、大変彼のお気に入った。以来「シャリアピンステ−キ」として流通するようになったのも、当「花外楼」が元祖。
      現代の若い世代の方々に申し上げたいが、既製品が出まわって不自由の無い今の世の中だが、各家庭に昔から伝わっている「味」こそ大切に引き継いで残して行ってほしい。と結んだ。

      戦中戦後を乗り切って現代に生きる女性の逞しさは、はんなりした含蓄あるお話の中にも滲み出ていたように思えた。

       
      また、会場の演台の斜め後に、木戸孝允の筆による帰国の船中で詠んだ七言絶句、

      火輪如矢截波還 一帯陰烟潮水斑
      千里鵬程無寸碧 舷頭始見馬関山

      の家宝の掛け軸が掛っていたのも印象的だった。

      休憩時間には既に上演された花外楼をモデルにしたお芝居「花の川」のさわりを劇団ASUKAのお二人による音響入りの台詞読みなどで賑わった後、再び徳光さんへの質問などあり、16時半頃盛会のうちに散会。


    Last Update:Jun.9,2002