大阪府立北野高等学校校長
中垣芳隆
時空を超えた清新さ
高等学校で英語の教員として18年、その後大阪府教育委員会、箕面市教育委員会での通算15年の行政経験の後、久しぶりの教育の場、「今浦島」の感じを抱くのではとの危惧を杞憂のものとしてくれたのは、登校時や放課後の生徒諸君の元気の良い且つ礼儀正しい挨拶。15年のブランクを更に超え、気分としては新任教員の時の清新さを思い起こす。
素晴らしきかな、北野高校
教育行政に携わる中、折りにふれ「良い学校の要素」として二つのことを挙げてきた。一つは学ぶ者と教職員のその学校への高い強い帰属意識、もう一つは教える者と教わる者の間に心地よい緊張感の漂う授業が展開されていること。創立130年を指呼の間に捉える歴史と伝統の力を背景に、二つの要素が見事なまでに息づいている。折にふれ、北野には学ぶ時には学びに軸足を、部活動の時には部活動に軸足を置くことができる生徒が多いとは聞いていたが、日々、目の当たりにして納得という言葉が当然という言葉に昇華する。
前職で抱いていた漠たる不安
ところで、この方の我が国の教育改革のベクトルは、個性の伸長、特色ある学校づくりに代表されるごとく画一化から多様化への方向を進んでいる。子ども達を見れば、我々の頃に比べ、自己表現力や様々な情報化を始めとする新しい文化への対応能力など、多くの優れた点のあることは素直に評価されるところかと思われる。
しかし、彼等が生きていく21世紀はこれ迄以上の激しい変化が予測される。素人のくせにとのそしりを恐れずに述べれば、かつては説得力のあった「寄らば大樹のかげ」という言葉は、グローバリゼイションに伴う社会構造改革の過程において、その有効性を減じつつある。そうであれば、子ども達一人一人が、しっかりと地中に根をはった樹木となり、いかなる嵐が来ようとも逞しく生き抜くことができる、自らに打ち克つ力や耐える力も同時に教育の中で培う必要があるが、この点については如何。
また一つには、学校週5日制に伴う学力低下論争。土曜日の授業がなくなるのであるから、余程の工夫がなければ学力低下への懸念を払拭は困難なこと。しかし、点数に現れる学力を巡っての議論の繰り返しはことの本質を見誤る。深刻なのは学習意欲の低下。理科離れ、数学嫌いと言われて久しいが、点数はそれなりであっても、いずれの教科においてもその教科が好きという生徒の割合は低落傾向を示している。これへの対応や如何。
適宜・適切な対応
このような、教育の枠組みの変化に伴う懸念や不安、また時代の要請に対し、北野高校は常に適宜・適切に対応してきた。学校5日制に備え、遠く平成5年度に授業日数確保の手段として、府立高校として最初に二期制採用の可否について、当時の山崎校長から実務担当者として相談を受けたのが自分であったことも因縁めいて面白い。さらに、秋田前校長時代に蒔かれた様々な種子、本年度から、他校では一日50分×6時限=300分、本校では65分×5時限=325分の校時としている。また、新聞紙上でも紹介のあったように土曜講座と銘打ち、生徒の学習意欲に応えるべく各学年において、基礎的学力の定着と併せ発展的な内容による学習活動が展開されている。
さらに、生徒の知的好奇心を高揚するとともに、将来の進路選択の一助とすべく大阪大学、京都大学との連携をすすめており、本年も50名を越える生徒が毎週一回、放課後に大阪大学に赴き少人数のゼミ講座に参加している。
とりわけ特筆すべきは、科学技術立国としての我が国の将来を担う人材の育成を図ることを趣旨とする、スーパーサイエンスハイスクールとして、全国26校のうち大阪府で本校のみが3年間の研究指定を受けたところである。早速にプロジェクトチームを発足し具体の教育内容等の開発・研究をすすめる体制を整えたところであるが、今後の本校の在り方に大きく影響を与える可能性を内包した事業と確信している。
最後に
このような様々な取り組みもまた、北野のスピリットである文武両道、すなわち知徳体のバランスのとれた全人教育の延長線上にあるものであり、世間の受けを狙ったものではさらさらない。蕉翁に例えるならば、基本的永続性とその時々の新風の体は根本においては一に帰すという、まさに不易流行の事柄と考えている。
21世紀においても北野高校が北野高校であり続けるよう、決して立ち止まることなく教職員・生徒が心を一つにして前進していくことを確信している。その手段としての、上述の先駆的取り組みを継続的なものとし、良き果実を得るには相当なエネルギーを必要とする。伏して、六稜同窓会会員諸氏の変わらぬご理解とご支援を衷心よりお願い申し上げるところである。