※昭和校舎を背景に…屋上から俯瞰の記念撮影中
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六稜六四会50周年記念祝賀会
reporter:興津純子(64期)
総会に先立って、在校生の先導でピカピカの平成校舎を案内してもらいました。図書館、音楽室、調理実習室等など、税金が豪勢に投入されています。弾痕の跡も痛々しい「メモリアル・ウオール」が巧く新校舎にドッキングされ、その壁の前に「笹部桜」と「野田藤」が移植され、笹部桜はチラホラと花を咲かせて居ります。案内役の在校生の方々が、夫々の場所で待機していて下さったのには感謝、感謝です。
第一部●式典 於:多目的ホール 14:30〜 出席者147名(男子97名 女子50名)
司会:平野 豊氏(64期。通称COW)
元毎日放送勤務。新聞部、音楽部、放送部OB
左から、石田先生、
上田先生
福田先生ご夫妻
※教職に付かれて我々が初めての生徒であり、特別思い出の深い学年であるとのこと。
※解説を担当してくだっさた放送部員によると、64期の青春時代(1950年代)の映画音楽から選曲された由。皆聴き応えのある演奏でした。彼等は春休みを、この日のために練習練習で明け暮れたことでしょう。改めて、顧問の先生(佐々木先生、岡本先生)始め、吹奏楽部の皆様に感謝いたします。
※深緑夏代氏のお弟子さんであった彼の語りかけるような歌声にも「枯葉」の味がにじみ出てきていました。
※『青い山脈』と言えば中学3年の時、授業をサボり、十三映画館へ。石坂洋次郎原作の映画『青い山脈』(主演:原 節子、池部 良)を観に行き、映画が終って場内が明るくなると、観客の殆どが北野の学生…あれには本当に吃驚しました!ノンビリとした古き良き時代の思い出です。この映画は、戦後最初の男女共学世代にとって「青春の刺激剤」でした。「宅習」と言うのもありました。休講の時間を繰り上げてもらいに先生の所へ頼みに行き、早く帰宅、または遊ぶことです。よくやったものです。
最初に1年3組・津吉先生(福田先生夫人。ちなみにお二人は職場結婚)のクラスからステージに上がって写真撮影。それから3年の各クラスがステージにあがります。石田先生、上田先生の頃までは、順序よく進んでいましたが、カメ(中山先生)、オカシン(岡本新太郎先生)、バチン(長谷川先生)等など…亡くなられた先生方の担任クラスからは、もうメチャクチャ。
70歳を目前にして、頭の薄くなった人や、白くなった元悪童共が我先にステージに上がります。ラグビー部、サッカー部の往年の‘ツワモノ’共が前列中央に座って動きません。
皆‘イガグリ頭’のガキ大将に帰ってしまています。いたずら盛りの中学1年から、肉体的、精神的に一番変化の多い6年間を共に過ごした仲間達ですから他所では得られない「何か」があります。
席に座っている人が殆どいないぐらい皆喋り歩いているうちに、お開きの時間となりました。校歌を全員で合唱、青春時代の気持ちを持って又の再会を約して散会しました。−−の積りですが男性達は2次会、3次会へと流れていることでしょう。
最後に準備をして下さいました北野OBの現職の先生方、新校舎案内の生徒さん達、吹奏楽部、放送部の皆様には心より御礼申し上げます。有難うございました。