お写真は昭和29年在職当時のもの |
reporter:鎌田俊一(81期)
なお、本校在職当時の思い出を、著書『中国古典選〜荘子』(昭和30年/朝日新聞社)の「あとがき」の中に記しておられます。
父の死とともに始まった京都から大阪への高校勤めは、健康に恵まれた私にとっても楽なものではなかった。しかし沿線に立ち並ぶ家々や打ち続く森や林を尻目にかけながら、ごうごうとひた走る急行電車の四十分は、私の心に何か爽やかなものを感じさせた。それに若い世代の溌剌とした夢と希望が、私の喪われた青春を蘇らしてくれた。私は与えられた境遇のなかで、自己の道を最も逞しく進んでゆくことを考えた。荘子の高き肯定には遠く及ばぬながらも、私の心には何か勇気に似たものが感じられるようになった…【後略】
後任の田上泰昭先生(故人)の言によれば、旧校舎の宿直室でしばしば寝泊まりをしながら、この『荘子』の原稿を書いておられたそうです。
そのとき、私は教師に恵まれた。二年生の漢文は福永光司先生(後に京大教授)に習った。先生の京都支那学的な実証主義的解説は知的興奮の連続であった。ことばの面白さ、奥行きの深さを知り、これが、後年、私が京都支那学の専攻に進む原因となった…【後略】
1986年(昭和61年)2月に関西大学を辞して郷里の九州大分に帰られるにあたり、本校で「北野高校に勤めた頃」と題して特別講演をいただきました。道教研究の先駆者で、『荘子』『老子』の全訳のほかに『道教思想史研究』や、近作には五木寛之氏との共著『混沌からの出発』などがあります。