20年迎えた「船場大阪を語る会」
reporter:谷 卓司(98期)
船場とは縁もゆかりも無い余所者が、とりわけ六稜の仕事がご縁で、この大阪の地で自営業をおっ始めることになった。そんなボクとしては、持ち前の好奇心から興味半分…かといって、伝統と生粋の浪花商人の本拠地へいざ踏み込む畏怖心半分というような面持ちで、こっそりと会場の愛日会館を訪れた。
第一部は座談会。前身の「船場の会」を引き継ぐ形で昭和56年に発展継承させた発起人メンバーが顔を揃える。パネリストは藪内吉彦氏(愛日)、西川照敏氏(堀川)、近江晴子氏(愛日)の御三方。三島佑一氏(集英)が司会進行をお務めになった。
テーマは「20年の来し方〜伊勢戸佐一郎氏を偲ぶ」。自らが故人となる直前まで、長くこの会の中心的存在として、世話役を務められた伊勢戸氏の思い出をともに語ろうという趣向であった。初めに奥さんとお嬢さんが客席から挨拶。会場探しに苦労された話や案内はがきの宛名書きを手伝った思い出を語った。
伊勢戸氏は昭和7年に横堀の材木屋に生まれ、久宝小、都島工専を経て同志社大・文学部へと進まれた。その後、本意ではなかったものの20年間は家業を継ぎ「尺貫法や住まいのよい勉強になった」という。その後、昭和50年にフリーの歴史家となり『大阪春秋』の編集に携わる。昭和60年からは大阪天満宮の宮史編纂室にもお務めになり、テレビ番組等の時代考証などでも活躍された。平成2年から東大阪短大で教鞭を取り、大阪市の教育長も歴任された。
パネリストの思い出が一巡した後は、会場から思い思いの発言が寄せられ、随分と流暢な大阪弁を話すベルギー人、ジョン・カメン氏(英文『大阪の伝説ガイド』を執筆。大阪春秋社から刊行)も飛び入りで、氏との交遊の思い出を語ってくれた。
引き続き第二部に突入。懇親の祝賀パーティでアルコールも入り、会場のテンションはもう殆どどこかの同窓会のそれに等しくなって、マイクを奪い合うかのような発言ラッシュ状態(笑)。こうした熱さが「おおさか」(のアジアンパワー)を支えている基盤なのだと、つくづく感じた次第。世の不景気をしばし忘れることのできた一瞬でした。
最後に「大阪市歌」なるもの(あるんですね、そういう歌が!大正10年3月の制定だそうです)を全員で合唱して、夏の終わりの短いひとときは幕を閉じた。