speech:秋田典昭
(大阪府立北野高等学校校長、
六稜同窓会名誉会長)
保護者の皆様にお祝いを申し上げます。本日は誠におめでとうございます。私たちは皆様方と力を合わせて、一人一人のお子様の持っておられる素晴らしい素質を大きく伸ばし、これからの社会を支えるリーダーとして活躍できるしっかりとした基礎を作り上げていきたいと考えています。3年後には、北野は厳しかったけれど素晴らしい学校で学んだ、良い先生に出会えた、生涯にわたる良き友人をたくさん得ることができたという感想を持って全ての生徒が卒業してくれることを心から願っています。
さて、本日から誇り高き北野の生徒になった新入生諸君、入学おめでとう。私たちは諸君を心から歓迎するとともに、諸君に大きな期待を寄せている。諸君は、この閉塞した現代に明るい展望を切り開くリーダーとなるべく、この北野で大いに勉学に打ち込んでほしい。
諸君の入学したこの北野高校は、府の一番校として創立以来128年という長い伝統を有している。伝統の長さだけで言えば、本校を上回る学校はいくらもあるであろう。しかし、本校の素晴らしさは伝統の長さではない。この128年の長い間、常に社会をリードする多数の人材を輩出してきた点にある。それに対する高い評価、名声は、大阪府下だけでなく、全国に及んでいる。 私は北野の本質は、全てにおいてリベラルな点にあると思う。それは、明治初年教育令により生まれた本校の建学方針が、秀才による紳士道の養成、即ちジェントルマンの育成にあったことにその端を発している。
しかし、リベラルであるということは、自由気ままの放縦ではない。常に全体のことに配慮しながら判断し、行動を通して自己と他に対して重い責任を持つということである。自分が様々な場面で自律的に、学校に対して、友人に対して、家族に対して、社会に対して責任を持つということである。こうした重い責任を担うためには、自分に対する大きな自信がなければ担えない。その自信はどこから生まれるのか。他人との比較による優劣感からは生まれない。他人との比較により生まれるものは相対的な自信であり、常に崩れ落ちる可能性を持ったものである。それに対して、絶対的な自信は自分との厳しい戦いの中から生まれるものである。ともすると安きに流され、怠惰であることを正当化しようとする、弱い自分との戦いに克つことから絶対的な何物にも動じない自信が生まれる。
諸君は素晴らしい素質を持っている。そして今、諸君は青雲の志をいだいて私たちの前にいる。どうか諸君は、今抱いているその夢を青春のはかない幻想で終わらせることなく、ぜひとも実現してほしい。夢を実現するためには、今日の新しいスタートの日から大いに勉学に打ち込んでほしい。これは自分との戦いである。明日から始めようと思う者は、既に自分との戦いに敗れている。我々に与えられているのは、明日ではなく、いつでもこの今しかない。
諸君の中には、あるいは苦手な科目の克服が課題となっている者がいるかも知れない。三年間は短い。しかし、その短い三年間であっても、こつこつと絶えざる努力を続けるならば、それは大きな力となり、必ずや道は開ける。
そもそも精神は高尚なるものである。精神は人間の行動を決定するものである。しかし、同時に具体的形なきものである。そのことは、形なき液体が器や入れ物の形に従うごとく、人間の精神は具体的現実の形に影響されやすいものであることを示している。固く決意したとしても、その固い決意はすぐに崩れてしまう。限りない高さを目指しながら、同時に崩れやすい脆さを抱えているのが、人間精神でもある。
そういう弱さを支えてくれるのが形である。卵の黄身や白身といういまだ形を成さないものを支えるのが殻であるように、弱く脆い自分を支えてくれるのが形である。強固な意思、崇高な精神を持続させてくれるものが形である。
高校生活における形とはどのようなものか。例えば、遅刻をしない。これも形である。本校では、授業の始まる5分前に席に着いて、静かに授業の始まるのを待つこととなっている。良く学ぼうとするものは決して遅刻などはしない。しかし、よく学びたいという気持ちを雨の日も風の日も、疲れているときも、気分が優れないときも持ち続けるのは至難の業である。だが、そういう場合でも、良く学ぼうとしたときの形を作ってしまえば、逆に揺れ動く頼りない自分の決意を持続できる。遅刻しないという形をとることが、逆に真剣に学ぶという精神を生み出してくれるのである。三か年間無遅刻、無欠席の皆勤者は、卒業式のときに全員の前で表彰される。この皆勤は誰もが等しく達成することのできるものでありながら、成し遂げることが極めて難しいものである。今年卒業した者の中で、この表彰を受けた者は28名であった。
ついでながら服装も形である。頭髪も形である。北野の生徒にふさわしいきちんとした服装や頭髪であってはじめて、勉学や部活動に打ち込むことができる。
大いに学び、大いに鍛え、堂々と誇りをもって生きる。それこそが本来の北野生の姿であり、そこに北野の美学がある。
私は、諸君が本校の本質はリベラルであることを理解しながら、同時に自分との厳しい戦いにチャレンジし、くじけそうになる自分の精神を形で守りつつ、これからの三年間を実り多き青春時代としてくれることを切望して止まない。
平成13年4月2日