7月1日17:00。大阪ミナミは心斎橋のハートンホテル別館2Fにて、今年も61期の同期会が開催された。新制高校はじまって以来、第1期の卒業生ともいうべき61期は今年、卒業51周年。実に半世紀ぶりの再会を果たした4名の初参加者を含む…総勢88名の集団(うち16名は同伴の奥様!)は、とても古稀を迎えたとは思えない正にお元気そのもの。
司会の今西兵造氏が、ついに皆勤破られることになった恩師の先生方に贈る「寄せ書き」を提案。また、3名の物故者と1名の授勲者の名前が報告された。場の雰囲気をおもんばかってか…全員での黙祷は省略された。
続いて61期会会長、内藤壽一氏の挨拶。やはり、お見えになれない恩師の先生方への哀惜の念と、同窓会常任理事の責務として会館募金へのさらなる協力を仰がれた(ちなみに6月末現在、61期の募金総額は150万円)。
また、この日発行を予定していた『十三堤』の第2集が560ページにも及ぶ長大な書籍となることが編集担当の上田晃宏氏を通じて報告され「7月末の完成となること、今日1冊でも多くの注文をお願いしたい…」との要請があった。
そして講話。演題は「契約について」で、弁護士でもあり自らの法律事務所を主宰する傍ら大学でも教鞭を取る本谷康人氏が「15分で判る『契約』の神髄」をひも解かれた。この手の講演依頼は多いらしく、スマートにまとめられた小冊子が配付されたので講話はキッカリ15分で終了した(笑)。
簡単に要約すると「契約とはお互いの約束事であり、世の中はすべて契約の鎖で繋がっている…(中略)…自分の言ったことに絶対の責任を持つこと、この社会生活の基本ルールが契約の効力の源泉である」と結んだ。
17:40。この後、写真撮影の一大ページェントが始まる(笑)。全員で1枚に写した記念写真だと、幾ら引き延ばしても顔が豆粒大で見えにくい…との不評から、今年は北野入学当時の1年生のクラス単位で6組に分けて撮影するのだとか。「クラスを覚えてない奴は7組へ!」「お前、4組やないか。間違うてるぞ」「おーい、オレ何組やった?」「もう1組は終わったぞ」もう、みんな中学生の悪戯坊主の様相を呈していた。
会場の一隅には、当時の郷愁を誘う歴史的逸品が数多く展示されており、時間を持て余さないように…との主催者の心遣いが感じられた。襟章やバッジ、陶製のボタン!(当時は金ボタンを作る金属すら供出されて不足していたそうである)に黒塗り教科書、配給切符、真珠湾記念切手…等々。もはや歴史の教科書か博物館でしかお目にかかれそうにない物品が、所狭しと並べられていた。
卒業証書、精勤賞、皆勤賞のほかに…「右ノ者、成績不良ニ有之候ニ付キ…」なんて呼び出し状まで遺されていたのには驚いてしまった。くだんのK氏はその後、成績を盛り返して見事、三高に進んだというから…学級主任の岡島吉郎先生がまだ御存命であれば、さぞかし嫌味な書類になったことだろう(笑)。
そうこうするうちに無事、記念撮影も終わり乾杯の音頭とともに開宴。ホテルのオーナーも61期とあって、料理は一向に減る気配がない(笑)。取材も忘れてたんまりと御馳走になったのは言うまでもない。
長い歓談の後、治田秀義氏の指揮でお決まりの校歌斉唱…と思ったら、『六稜の星のしるしを』の歌詞には「新校歌」と題されており、全員が声を一にして歌い始めたのは、旧校歌『洋々と湛ふ大淀川』のほうであった。わずか数年間しか歌われなかったという、あの幻の校歌なのである。
歌詞の内容には「皇国」など…戦時中を彷佛させるものがあるが、橋本国彦作曲のメロディは非常に洗練されたマーチであり、今でも一聴の価値があると思う。ましてや、それが現役で歌われている…ということに感銘を覚えたのはボクだけであったろうか。
最後に、下平嘉昭氏の掛け声で萬歳三唱の後、来年の再開を約束して愉しい宴は散会となった。