大曽克弘(57期)
私は昭和14年に北野中学校に入学し1年1組になった。担任は長身でスマート、眼鏡をかけた村上先生だった。先生には代数を教えていただいたが、そのことは数学が苦手な私を百入学当初からびびらせた。しかし、生活面でも数学でも大きな叱責を蒙った記憶はない。これは私が比較的素直な生徒であったということではなく、先生が懐の深い温かいお人柄であったからにほかならない。私は学窓を巣立ってから教育界に身を置いた。いつも「良き師たらん」と自らに鞭打ってきたつもりであるが、思えばいつも村上先生のお姿を追いかけてきた気がする。決して口数の多い方ではなかったが、いつも物事をきちんと的確に押さえておられたし、講義のあちこちでの適当なジョークも、私たちの笑い声と共に思い出されてくる。
村上先生と過ごしえた年月は短かったが、最後の5年生の一年を、制服の左襟の北中のバッチのさらに左に黄色い丸い台座の上に六稜の星の載ったバッジを付けた兵器委員としてがんばることのできたことが、村上先生に捧げ得る私の数少ない思い出である。
村上先生は今日、めでたく百歳をお迎えになられた。先生にはさらに矍鑠として好き日々をお過ごしくださることを祈ってやみません。