大阪府北野中学校(芝田町校舎)
明治35(1902)年4月1日
1902年、北野芝田町(現在の済生会中津病院付近)に新校舎が完成した。これに 伴い校名も「堂島中学校」から「大阪府立北野中学校」と改称された。堂島校舎 は僅か13年使用されただけで、府立中之島高等女学校(現在の大手前高校)に 引き渡された。この当時、府立中学校は10校しかなく、本校の定員は500名 であった。しかし、明治の末期から昭和の初期にかけて中学校への進学希望者が 急増し、1925年には本校の生徒数も1200名となっている。
新校舎についての記述がある。「新校は四面郊野を観望すべければ衛生上は勿論 心意上にも利益少なからざらむ」現在の状況と比較すると、その環境変化ははな はだしいものである。
6月1日に新校舎の落成式が挙行された。このときの式次第が残されている。 「校長挨拶、君が代斉唱、教育勅語棒読、勅語奉答の歌、工事報告、知事式辞、 落成式祝歌、来賓祝辞、校長答辞、校長挨拶」
この日の午後から陸上大運動会が開催された。競技種目は次のようなものであっ た。徒歩(徒競走。200m・400m・600m)、提灯競走、載嚢、二人三脚、旗拾、逆立 競走、袋飛、長距離競走(20分間に4,500m走った者を優勝者とする)など。