深江 浩先生
【日本史】
1969年9月〜1973年3月
一方、村川、柏尾、水落の3先生と共に北野百年史編纂の仕事を浦野校長から命ぜられ、担任は69年度1年だけしかやらせていただけませんでした。今NHKテレビ「日本人の質問」によく登場する阿辻哲次君なんかが私のクラスにいました。男子ばかり40人の面白いクラスでした。
折からの学園紛争の闘士も幾人かいました。彼等はマジメで、私は真剣に彼等と議論したものです。オーケストラ部の顧問も勤め、よく合宿を共にし、そこで豊嶋和史君の指揮者としての才能に驚きました。
73年4月京都薬科大学へ転出し、教養の文学とドイツ語を担当することになりました。北野で教えた諸君ともまたあい見えることになり、私のドイツ語を危なっかしそうに聞いてくれておりました。薬大には18年おりまして、95年2月に定年退職しました。その間、同志社、立命館、花園などの文学部で、非常勤で、漱石や文学理論について講義しておりました。 退職後は、立命館、花園のほか滋賀医大や大阪府立看護大学の非常勤講師を勤めましたが、今年の4月以来は全くフリーになり執筆に専念しています。
昨年は古希の記念に『漱石の20世紀』(翰林書房)なる本を出しました。私の研究領域は主として漱石とその時代ですが、理論的には、ルカーチとバフチンに学ぶところが大きいです。ルカーチから一番学んだことは、全面的な商品経済社会では対象となる世界がモノ化すると同時に、主体となるはずの人間の意識もモノ化するということ。従ってモノ化した世界や人間の意識をそのまま現実と見誤って書かれた文学作品は真にリアルな作品とは言えないということです。バフチンから学んだことは、生きた言葉はすべて対話的であること。それぞれ固有の見方を持って生きる諸個人と対話的に向き合い、作者の固定的な視点で登場人物を客体化しないことが新しいリアルな表現にとって大切であるという考え方です。これらは文学の問題を超えて現代にいきるものの姿勢として大切と思われます。
今日の状況に問題を投げかけるような、真に文化の名に値する文化の発信基地になって下さい。