卒業生諸氏の母校には23年間在職したが、顧みると、昭和25年から平成9年までの48年間、京都を振り出しに奈良・大阪2府1県の公立高校を経て、清風南海学園を、終のすみかにしている現状である。昭和2年生れの私は、既に「古稀」にも拘らず、乞われるままに教壇上をうろうろしているが、いよいよ年貢の納め時と悟り、今年度を以て教壇におさらばする。学徒出陣で多少とも軍歴のある私は、生き残って戦後第二の人生を、胃潰瘍の手術後は、第三の人生を、公立高校退職後は第四の人生を、そして私学を退職して、いよいよ最終ラウンドの第五の人生に突入するつもりでいる。
23年間の北野生活、その時期(昭和38年〜昭和61年)の北野高校は、すべて可にして、特筆すべきことなく、天下に君臨したよき時代であったろうと思う。ともあれ、23年間在職した北野高校の卒業生諸氏に幸あれかしの思いや切である。