竹尾治一郎先生
【英語】
1956年〜1962年
まず近況からお答えするのが順序でしょう。私は今年の三月、関西大学を定年で退職しました。これで、北野高校の定時制課程を振り出しに、足掛け46年におよんだ教員生活にも終止符を打ったことになります。現在は週一クラスだけ大学院の授業をしていますが、その他はたいてい家にいて読書したり原稿を書いたり散策したりして過ごしています。無益なストレスから自由な境涯におかれて、かねがねしたいと思っていた仕事に戻ることができると、ご多分に漏れずしばしば思うことは、どうしてもっと早く、もっと先まで進んでおかなかったのだろうということです。
おそらく多くの方々とも同じように、この数日のテレビで見た、あの、ありふれた事故死を遂げた非凡な女性、ダイアナさんの葬儀の模様がとても印象的でした。ご承知のように、17世紀後半の英国では名誉革命が起こって、ジェイムズ二世が追い出され、ウィリアムとメアリが迎えられました。その後でジョン・ロックの『市民政府論』が、いわば名誉革命を理論化するような形で書かれました。今回の二百万人の葬儀なども、だれかが中央で計画し組織して起こされた運動ではなかった点、そのパターンにいくらか似ていないでもないような気がします。つまり、イデオロギーや号令が先行するのではなく、それらが後からついて来るのがあの国の伝統のようです。私はかねがねそうしたことは理屈としては分っていても、実際にこんなに劇的な形で起こるとは予想しませんでした。私自身はそういうことを特に望むわけでもないのですが、ことによったら近い将来、日本の宮内庁の役人らがうろたえるような事態が、古いユーラシア大陸の向こう側で、まるで日本国民に新しい時代のお手本を示すかのように、発生するのではないかと思っています。