せやから、もっと極論すれば、今、国文学や英文学はものすごく人気悪いですね。そういうとこに行きなはれいうねん。卒業してコンピュータの先生なろうと思たら、4年たったら、ものすごい競争してるわけ。ところが国語の先生や英語の先生になろう思たら、もっと競争少なくなってるわけです。もし、さらに大学院行ってドクター終わったころまでいうたら9年先でしょ、先生みんな定年で辞める。そうなったときに国語のドクターやいうたら大変価値がでるという、そういう頭が働かんのは子供やからや。それを親や先生が教えてやらなあかんのです。関大なんか、今年経済学部が多かったら、来年減って商学部が多くなるのはわかってる。もいっぺん経済受けたら少ないのに。それがわからへんのやね。こうしか行かんいうのか、裏側を見ないのいうのが、困ったことです。
それからね、たとえば中国の歴史を勉強したいというとき、世界史や日本史の知識を持たずに中国史だけ学ぼうとする傾向があって、これはますます強くなっていますね。大学の2年生に東洋史概説の講義して、あとで聞くと、おもしろかったという答えと難しかったという答えが出てくる。おもしろかったという答えは入学試験で世界史をとった子で、難しかったという答えは日本史とった子なんです。自分が高校でやったことをずっと温存して、その知識のまま上に行くんですね、今の生徒は。自分の持ってるものをいっぺんつぶして未知のものに挑戦するという度胸がない。それがこのごろの子の特色やね。東洋史のドクターの3年生でカミ・スケ・ジョウ・サカンを知れへんのがおる(編注:四等官…長官【かみ】、次官【すけ】、判官【じょう】、主典【さかん】のこと)。日本史やってないから。日本史やってる学生が歌舞伎の題名を知らんとか、そういう常識が今はないのやね。これは困りますね。
それと、僕らの学会では、漢代やってる人間がいて発表する、そのあと唐とか西域とかの研究発表がある。僕らは若いときから全部聞いていましたよ。今は自分の専門以外は聞こうとしない。専門以外のことを聞いてるうちにヒントがあるんやけどな。あんなこと、こっちへ持ってきたらどうやろとかね。このごろは専門が細分化してるけど、それでいいもんができるかというと、それはまた別や。
大学院大学を作ったのも結局、蛸壺化を進めてるね。本来は講座制やめて広く取れるようにというのやけど、みんな囲い込んでしまった。たとえば、インド学やってる子が中国学の講義聴きに行こう思ったら、自分とこのインド学の先生のご機嫌が悪いいうようなことがよくある。これは先生の方が悪いんです。だから日本の学問はだんだん萎んでいってる。研究環境は、特に文系基礎学は悪くなってますね。先がどうなるか、ちょっとわかりませんな。
僕はいろんな本書いているけど、実際は日本史やってたほうがよかったと思うよ。日本史関係の本のほうが絶対売れるもん(笑)。