福島の近くで生まれたんですけど、戦災で家が焼失したんで、塚本に仮住まいのつもりだったのがそこへ落ちついてしまったのです。私の時から新しい学区制が敷かれて男女共学の新制中学になりました。その3期生なんですけど、入った時から新制中学という期の最初になるんです。中学も高校もそうでしたね。
新しく新北野中学ができたんですけど、親が心配して、かわいい娘を共学にやるのはちょっとどうかということで。それで、姉が出た金蘭に最初入ったんですけれども、すごいの!女性ばっかりって(笑)。門で待ち伏せされたり、授業終わったら廊下に立ってはるしね、上級生が何人か…。要するに宝塚的というのかしら。それが私には苦痛やった。「もういやや」と言って1学期だけでギブアップしてしまって。
それで2学期に新北野中学へ転校したわけです。そしたら別に親が心配した男女共学の弊害もないし、私にとっては伸び伸びと楽しく過ごせてね。小学校6年からソフトボールを始めて、それにとりつかれて、中学はソフトボール一辺倒。高校へ入るときに、今でいう推薦入試というか…ソフトボールで有名な学校から来ないかというお誘いがあったんですけどね。私立の女子校はもうこりごり。親も「受けるのは北野だけ」と。「北野を落ちたら、風呂敷包み持たせて女中奉公へ出す」と言われたんですよ(笑)。
北野に入ったら2年・3年の女子は大手前から来た人たちで。1年生420人ぐらいの中で女子が180人ぐらいかな。それまで北野は男子校で来たでしょ。だから女子用のトイレは少ないわ、更衣室はないわ…。体操の時も、男子が先に着替えて出た後で、女子が着替える。立ったら窓から見えるから机の間に座り込んでね。そんな状態でしたよ。何十年かたって同窓会で、あの時に「磨りガラスの上から覗いて見てた」とかいう男性がいてね。そんなん、こっちは知らんわね。そんな話を今頃されても時効やもんね(笑)。
1年生の時のクラスは仲が良くて、夏休みに六甲へハイキング行ったりして。ちょうど登山部の人がいたので、卒業してからでも山へ連れていってもらったりしましたけど。だから「男子やから、女子やから…」というようなことは全然なかったですね。
北野のときの写真…私、セーラー服とか私服とか着てるでしょ。ちゃんと北野の制服を作ってもらったのに、母が「スーツはマセてて嫌いや」いうて着せてくれへんのです(笑)。セーラー服を着せたかったんですね。上級生に注意されたなあ。でも、他にもそういう人いてはりましたよ。男女共学の草創期のおはなし。