今から25年前のことです。「逆格差論」といって…沖縄でも地域開発を推進して、日本の平均所得に追いつこうと考える一般論に真っ向から対峙する逆の意見でした。私はそれに賛同して、この地で農業をやっていこうと決意したのです。
岸本さんは現在、名護の市長をしています。2年近く前に「海上ヘリポート建設問題」が浮上した際、市民投票の結果「基地拒否」という結論が出たにも関わらず、前市長はそれを無視して「基地受け入れ」の態度を表明してしまったのです。その後、前市長は辞職。助役だった岸本さんが市長に押し上げられたわけです。
名護の発展を考えるとき、次の2つの意見があります。
・基地を受け入れて、政府主導型の発展
・基地を拒否し、自力で伝統や自然を活かしながらの発展
対極的な2つの意見があって、それぞれの意見で“発展”を考えています。
岸本市長も基地を誘致する立場ですから…私は、かつて私を魅了し、受け入れてくれた現市長の彼とは対立する立場になってしまいました。
大湿帯を選んで生きる人たちの共通点は、農業で生計をたてる自給自足型であることです。有機農業をやり、土をこねて焼き物を作り、衣類・生活資材は天然素材のものを自分の手で作る…自分たちが食べるための農業、自分たちが生きるための工芸をやっていました。長い間…みんな、それぞれ勝手にやっていたのですが、しばらく経ってお互いの共通点を見出すようになって、大湿帯で工芸村を作ろうという動きになりました。
沖縄でも那覇や島中部はコンクリートで覆われています。ですから、子供が自然を体験できるのは島北部=この山原しかありません。この豊かな大地で、伝統と自然を守ることを子供たちに教えていこうと考えたのです。ですから最初は、そういった伝統工芸の体験ができる場を提供していこうと思い、粘土をこねて焼き物を作ったり、草木染めをやっていました。初めから藍染めを考えていたわけではありません。ところが、いざ藍染めを始めてみると…周囲におだてられた所為もありますが(笑)…実際に、大変希少価値のあるもので、私たちが辞めてしまったらもう伝えていく人がいない…というので辞めるわけに行かなくなったという要素もあります。