われら六稜人【第17回】震災を越えて…灘の酒造り
    第1樽
    「灘酒造」のルーツ



      ボクの生まれは北朝鮮の元山市という所なんです。明治の終わり祖父母の代に元山に渡り、雑貨屋を開業しました。大正5年にそこで造り酒屋を始めたのが現在の当社「灘酒造」の前身ということになります。従って祖父が創業者なんです。ボクは昭和17年に元山で生まれましたが、昭和20年の終戦で日本に引き揚げて来たのです。

      当時3歳ですから…あまりたくさんの記憶は残っていませんが、今でも鮮明に覚えていることが二つあります。ひとつは敗戦して間もなく…ロシア兵が略奪にやって来たこと。ライフル銃をかかえて時計や貴金属を奪っていくのです。幸い、危害は加えられませんでした。特に女、子供には。しかし物凄く恐ろしかった事を覚えています。もうひとつは引き揚げの時の記憶です。ポンポン船に乗って山口県の仙崎に上陸しました。仙崎港でおにぎりを3つ貰ったのですが、このうち1つを落としてしまって砂だらけになって食べられなかった。これが悔しくって…今でも忘れられません(笑)。

      引き揚げ後は祖父の出身地である姫路に3年ほどいました。昭和24年に、父が塩干類(数の子などの乾物)を卸す商売を始めた関係で、大阪の西天満に転居しました。ボクが北野へ入ったのはそのお陰です。西天満小→菅南中→北野高というコースです。そして昭和30年に父が中心となって朝鮮時代の同業者26社と共同出資で現在の「灘酒造」を設立しました。最初は御影の「忠勇」さんの蔵を借りてスタートしたんです。


    Update : Feb.23,1999