工場を閉鎖したことを親父に伝えました。厳格な親父は
「これからどうする心算か」
「いろいろ考えましたが…あと私に出来そうな仕事は弁護士しかないと思いました」
そう、答えたのです。親父は私の顔をじっと見つめながら、涙を浮かべているようでした。
「おぉ、そうか。やっとその気になったか…」
私はそう言ってくれるものとばかり思っていました。しかし、親父の口から出た言葉は次のように厳しいものでした。
「やめとけ。お前が商人になったのは銭を儲けようと思ったからやろ。商売人が銭を儲けるのは善や。しかし、弁護士が銭を儲ける…ということは悪につながる」
親父は一高、東大の出身でした。
「わしの同級生は官僚や大臣、財閥系の社長になって大きな顔をしている。しかし、奴等が今の地位に就くまでに少なくとも会社の5つや6つは潰してきた。お前はいくつ潰したのか」
「果物屋と役人とペンキ工場の3つです」
「たったの3つか。一度、志を立てて商人になったのなら、それを貫き通すのが男というものだ」
そこで私は心の内を正直に話しました。
「確かに、銭儲けをしようとして商人になりました。しかし、私は商人に向いてない人間であることがよく分かったのです。それで…いろいろ考えた末、親父を見てきて弁護士しかないと思いました」
「そうか。しかし、やるなら…試験に失敗しても死ぬまで受け続ける覚悟で臨まなあかん」
こうして、35歳にして弁護士を志しました。司法試験には5回失敗して、6回目でやっと合格。41歳の時です。その後2年間の修習期間を経て、43歳で晴れて弁護士となりました。前厄で試験に通り、後厄で弁護士になったのです。以来、36年経った今でも、現役で弁護士稼業を続けています。今年で79歳になります。
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